ドリーン・バーチュー博士公認エンジェルセラピープラクティショナー(R)の千鶴が、天使からのメッセージをお届けします。エンジェルリーディングのセッション等については、私のHPをご覧ください♪


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たったひとつの大切なもの

スピリチュアルな世界へ入っていくということは
単に「見えない存在」と対話するということだけではありません。

「人間とはなにか」「生きるとはどういうことか」
そこに関わらずにこの世界を通り抜けることはできません。
そして「生きるとは?」という問いかけの裏には、必ず
「死ぬとは?」という疑問がついてきます。
その二つはコインの表裏のようにセットになっているのです。

私たちが多くの光の存在とともに(意識していようといまいと)
人生という旅を送っているのなら、
そこには必ず理由や目的があるわけで
彼らが私達を守護してくれているのも、ただ漠然とではなくて
明らかな意味があるのです。

このテーマはあまりにも深遠で、今の私には全体像のうちの
ほんの隅っこの切れはしのような部分しかわかっていないのかも
しれませんが、それでも確実に感じることがあります。

光の存在が私達を取り巻いてくれているのは
私たちがそれぞれに「生きるとは?」「魂とは?」
の答えを見つけるために、サポートしてくれるためだと思うのです。

そして、それは私たちそれぞれが、
たったひとつのかけがえのない存在だから、なのです。
たったひとつの魂、たったひとつの命だからなのです。

スピリチュアルな知識や経験が増えることによって
意識がどんどん変化していくのがわかります。

「生」と「死」がワンセットならば、そこには実は境界線はなくて
意識の違いがあるだけ。
「死」も「生」の一部であるし、お互いに一つのものだということです。
だからむやみに「死」を恐れたり、忌々しい、日常とは離れたものだとは
思わなくなってくるのです。

つまり「生きる」ということ自体、自分が存在しているということ自体を
大きな視野でとらえることができる、ということです。

先日、私の友人が天国へ行きました。
自分で決めて、誰にも言わずに旅立ってしまいました。

私はその少し前に、久しぶりに彼女から「会おうよ」と
誘いのメールをもらいましたが、忙しさから断ってしまいました。
でも、いつもとあまりに調子が違っていたことが気になっていました。

彼女のご家族からのその知らせに、私は驚くことはありませんでした。
なんとなくですが、そういうこともあるかもしれない、と
どこかでわかっていたのかもしれません。

でも何よりも、以前の私とは「死生観」が変わっているので
とても穏やかに受け止められたのかもしれません。
彼女は肉体から抜け出ただけで、意識として、魂としての存在で
あることには変わりはなく、彼女の存在はなくならないと知っているからです。

ただ、一人の人間としての私は、本当に悲しいです。
涙が次から次へと溢れて来て、ただただ悲しいです。
本当に悲しい。

あの時「会っていれば、もしかして?」と自分を責めるような気持にもなりますが
後悔でも、懺悔でもなく、それよりもっともっと、ただ悲しいです。

いつからか彼女は、まるでカウントダウンするみたいに
自分で期限を決めていたのでしょうから、私が会ったところで
それを変更することはなかったとわかります。
明らかにいつもと違った態度は、お別れを言いたかっただけだからです。
気持は決まっていたのです。

そして、そんなことを考える私に
「いいんだよ、千鶴さん」
と、いつものように遠慮がちな微笑みの彼女が浮かびます。

「いいんだよ」

私から見える彼女が、穏やかで落ち着いていることが
残された人々の救いになっています。
それは彼女が最後に残してくれた愛情なのです。

彼女の存在は形を変えているだけです。
でも、それはどんな風に変わったんでしょうか。

いつも亡くなった方とコンタクトを取ると、その方達の「感情」が
なんとなくオブラートに包まれたように感じることがあります。
言いたいことや、やり残したことがたくさんある霊体でさえ
その感情にまるで直接触れることはできないかのように
彼らの生々しい感情は、どこか別の世界のもののように感じます。

言葉で説明するのは難しいのですが
「熱がない」と表現するのが一番適切かもしれません。
もちろん、執着などで、思いが強い霊体はいらっしゃいますが
私自身の経験として、そしてポリシーとして、そのように
彼らの感情的な部分とは接するようにしていますし
事実そのようにどこか遠くのもののように感じることができるのです。

もしかすると、そこが
生きている、肉体がある、ということと、それがないことの
感覚として受け取る「差」なのではないかと思っています。

だから、今、私がただただ悲しくて涙があふれてくるのは
生きている私には「熱」があるからだと言えるのです。
それは、生命体としての「エネルギー」とも言えるし
感情の「強さ」とも言えるかもしれません。

私は生きているのです。
だから本当に本当に悲しい。
失ったとか、消えたとか、そんなことだけではないのです。
私にはまだ「感情」の力としての「熱」があるから
だから泣いているのです。
それが生きている、ということなのだと。

繊細で傷つきやすくて、音楽と天使が大好きだった彼女に
私が今言えることは
「私はまだまだ、自分の”熱”に従ってここにいてみるね」

彼女と私はやり方もプロセスも違う魂です。
でも、きっと目指すところは同じはずです。
それは誰もが同じなのです。

私はしばらくの間は、彼女の知り合いの多くの人とともに
悲しみから何度も泣くでしょう。
でも、そのことは私が生きているからなのだと私は思うのです。
そしてそのことを教えてくれた彼女に感謝を伝えたいと思います。

たったひとつの魂、たったひとつの命は
私達に与えられた、長い長い永遠のプロセスであり、結果であり
そして偉大な贈り物なのだと思います。
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by lovingangelsnadia | 2009-07-29 12:09 | エンジェルセラピー