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ドリーン・バーチュー博士公認エンジェルセラピープラクティショナー(R)の千鶴が、天使からのメッセージをお届けします。エンジェルリーディングのセッション等については、私のHPをご覧ください♪


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かぐわしき大地

「忙中閑あり」と言った感じで
東京国立近代美術館で開催されている
ポール・ゴーギャン展に行ってきました。

今回の展覧会の一番の目玉は
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
というゴーギャンの遺書とも言える大作の展示です。

この作品を描いた後、ゴーギャンは友人にこのように
手紙をしたためています。

「私はもはや言葉で表現しません。
私は文学的な手段に少しも頼らず、できるだけ単純な技法を用いて
暗示的な構図の中に私の夢を表現したのです」

この大作は非常に有名で、波乱万丈だったゴーギャンの人生観、
死生観を表した名作と言われています。

人の生と死を様々なモチーフで描いていて、ゴーギャン自身も
「これ以上の作品は描けない」と話したそうです。

ゴーギャンは「耳切り事件」で有名なゴッホとの情熱的かつ破壊的な
共同生活や、楽園タヒチに移り住んで創作活動を続けた破天荒な芸術家として
サマセット・モームの小説「月と六ペンス」のモデルにもなっています。

私は中学2年の夏に、この「月と六ペンス」を読んで
ゴーギャンがモデルと言われる登場人物のあまりのドラマティックな
人生にクラクラしてしまいました。
当時の私には、これは実話だよ、と言われても理解不能でした。
つまり、どうしてそこまで破滅的になれるのか、と。

しかし今の私にはちょっと違った印象でゴーギャンの作品は
目に映りました。

彼の作品は、タヒチでの生活を描いたものが有名ですが、それらはみな
土色というか、赤だろうと緑だろうと茶系の色が使われていて
区切りの線がはっきりしているのが特徴です。

そして裸だったり、神話の神々だったりの体や、感情が表に出ない表情と
南国のはずなのにどこか暗い風景です。

ゴーギャンは、絵を描くことの情熱に抗うことができませんでした。
そしてフランスでの生活に見切りをつけ、妻子を捨て
安定した収入の仕事も捨て、34歳で芸術のためだけにタヒチに向かいました。

しかし、そこで彼を待っていたのは貧困と病でした。
そして彼の作品は誰にも理解されませんでした。

「なんて気の毒なひと!」
と子供のころの私は思いました。
「芸術家って浮かばれないのかな」とも思いました。

でも、今回ゴーギャンの作品の数々を改めて見てみると
(これは勝手な私の推測ですが)
ゴーギャン自身が「楽園」での生活を受け入れることができなかったのではないか
と感じました。

フランスでの順調で人並みな生活を捨てたのには、並々ならぬ情熱と
熱意と期待と気合いがあったのは本当だと思います。
しかしながら、彼はもしかすると自分の中の本当に
プリミティブ(原始的)な部分をうまく受け入れることができずに
もがいていたのではないか、と思ったのです。

なぜなら、彼の作品は楽園を描いているわりには、とても暗いです。
そしてどの作品にもまるで消せないシミのように「不安」が
つきまとっています。

陽が昇ると活動し、日が落ちると眠り、神々を敬い、ほぼ裸で暮らす人々。
彼らの生活は都会の人に比べると、信じられないくらい
「生と死」が身近です。
人が生まれることも、死ぬことも、食べることも、眠ることも
全てが同じラインの上に存在していて、ある意味全くどれも特別ではないのです。

ゴーギャンは結局それを受け入れたいと熱望していたのに
反面必死で抵抗していたというか、見たくはないと思っていたのでは
ないかと感じるのです。

誰よりもゴーギャン自身が、そのような暮らしの中で
漠然とした「不安」からは逃れることができなかった。
それは「死」というもの、そして「死」へとつながる「病」あるいは「老い」です。
突然襲い掛かる自然災害や、神が人間に下す罰・・・。

画家のマティスは「色彩は自然の模倣ではなくて、人間の感情を表すもの」
と言っていました。
ならば、土色の色彩のゴーギャンの感情は
どのように表現されていたのでしょうか。

私は今回、ゴーギャンの描いた絵画よりも、多くの版画に魅せられました。
それらはほとんどが白と黒のみです。
でもだからこそ、そちらの方により鮮明にゴーギャンの人となりが
反映されているように私には思えたのです。

彼は一体どのような気持ちで、木版画を彫っていたのでしょうか。
細い細い線のたば、女性の美しい裸体を描く曲線、闇と光。
不確かなものを見つめる目線と、土着の人々の暮らしと、それに根付いた祭りなど、
彼は一体どのような視点でそこに存在していたのでしょうか。

彼が彫った無数の線には、彼の不安や楽しさや喜びや戸惑いが滲んでいます。
鮮やかな色彩では隠すことのできない微妙な線です。
南海の孤島で「本当に怖くて、不安だったんだな」と思いました。
でもなぜか同時にそこからは彼の持つ鷹揚さも強く感じました。
全てを捨て、何かに飛び込む思いっきりの良さです。
それを感じたのは、二色しかない色ではなくて、彼の彫った線の数々からでした。
まるで、女性が朝メイクをするときに、集中できないと
眉毛のラインを書き損ねたりするように・・・(笑)。

その版画の有名な作品が「かぐわしき大地」です。
ゴーギャンは本当に、類まれな才能をその「かぐわしき大地」で
思いっきり伸ばすことができたのでしょうか。
それとも、その場所にいることが、彼をより一層「大地」なるものから
遠ざけてしまったのでしょうか。

答えはわかりませんが、彼が当時認めらなかったからこそ
今の彼の作品の高評価があるのも事実です。
でも、ゴーギャンは幸せだったのか?
彼は一体何を求めていたのか?

でもタヒチを離れている最中の版画の作品を見ていると
「俺、本当はタヒチ好きなんだよね・・・」というボヤキと同時に
かの地への憧憬が伝わってきます。
離れているからこそ、かもしれませんが。

だからもしも、彼の作品が存命中に認められたなら
芸術家としてだけではなく、一人の愛すべき男性としてのゴーギャンは
もっともっと(当然のことながら)楽園を楽園として
享受できたのかもしれないと思ってしまうのです。

もしそうなっていたら、本当に「楽園」っぽい作品を描けたかもしれません。
でも、それはあまり面白みのない作品なのかもしれません。
一体どっちが幸せなんだろう?

本人はどっちがいいと思っていたのかな???
ゴーギャンこそ、一体どこへ向かっていたのでしょう。

秋の夜長に凡人の私はそんなことを考えて、すっかり気持は
タヒチへと飛んでしまうようです。
「かぐわしき大地」とは一体何なのでしょうか。
どこにあるのでしょうか。

苦しみつつ孤島で生涯を終えたゴーギャンは
最後にどんな世界を見たのでしょうか。

もしかすると、あえて「月と六ペンス」のように
ふたつの全く対峙した存在の間を埋めないことを選択した
人生だったのかな、と思うのです。
「不安」であることを選び続けたのでしょうか。

それこそが、彼が苦しみつつも多くの作品を生み出した
原動力なのかもしれません。

ポール・ゴーギャン展 2009
東京国立近代美術館
(9月23日まで)
by lovingangelsnadia | 2009-09-09 22:40 | 日常のひとこま