ドリーン・バーチュー博士公認エンジェルセラピープラクティショナー(R)の千鶴が、天使からのメッセージをお届けします。エンジェルリーディングのセッション等については、私のHPをご覧ください♪


by lovingangelsnadia
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

私の中の”エドワード”

今回は映画の話です。
ネタばれが含まれていますので、ご注意を!

「シザーハンズ」という、映画を見ました。
見たのは二度目で、最初は公開当時でした。
でももう20年も前の作品なんですね!
びっくりしてしまいました。

なぜまた見ることになったかと言いますと
娘に「一緒に見て~」と頼まれたのです。
大学の授業で見せられたのだけど、途中で時間が来てしまい
「あとは自分で見て」と言われたのだそうです。

でも私は最初あまり気が進みませんでした。
なぜなら、ご覧になった方ならお分かりだと思いますが
この映画すごく切ない話なんです…。
でも、まあせっかくだから、と一緒に見ることにしました。
そして、これがとても興味深いものだったのです。

主人公はエドワード。
まだ20代の若いジョニー・デップが演じています。
このエドワードは町の外れの山の上に建つ奇怪な城に住む、
年老いた科学者が作った人造人間なのです。
髪はツンツンで、服もボンテージのような黒の革製、そして
両手はたくさんのはさみでできています。
だから「シザー(はさみ)ハンズ」
顔色も非常に悪くて、表情はほとんどありません。
歩き方もとっても変。
つまりとても不気味、というか奇抜な容姿なのです。

エドワードのお父さんとも言うべき科学者は、両手を
つけようとした直前に急死してしまい
それ以来お城で一人暮らしをしていました。
だから城から外に出たことも、科学者以外の人間に会ったことも
ありませんでした。

でも、ある日ふとしたきっかけで、
城のふもとの町に住む化粧品のセールスレディ、ペグの家に
家族として迎えられ、新しい生活が始まります。
強引に連れて行かれる、という方がぴったりかもしれません。
善良なこの女性はエドワードを「かわいそう」と思ったのです。

そこで、彼は恋をします。
美しい、その家の娘キムです。
一目惚れでした。

でも、キムには
かなり自己中心的で、押しが強く腕力のある
ボーイフレンドがいました。
ティーンエイジャーの彼女はこの関係を楽しんでいました。
そして突然母親が連れてきたエドワードとは
少し距離を置いて付き合っています。

キムは優しくてピュアなエドワードに
次第に心惹かれていくのですが
自分が風変わりな彼を好きになってしまったことを
なかなか受け入れることができません。
そしてこの同居人のエドワードをキムのボーイフレンドは
忌み嫌い、いつも馬鹿にしています。

彼らが住む町は、同じような家が変化もなく並んでいます。
生活のパターンも同じで、それは個性をなくし画一化された
町並みと同じようです。

そのうちの一軒に住むペグが連れてきたエドワードは
始めは町の人々の好奇心の対象になります。
刺激のない毎日を送る人々は彼のことを知りたがります。

何気なくエドワードが庭の植木の剪定をしたところ
それがたちまち芸術作品になったことで彼は皆に認められます。
ただの植木が犬のかたちになったり、スワンとハートになったり
これが評判になり、町の家々全てからお声がかかり
彼が次々見事なはさみさばきで、どこを見ても同じだった
植木を芸術に変えていきます。

エドワードは、このはさみ(手)を使って、犬のグルーミングも
女性のヘアカットも上手にこなし、
同じような髪型だった、この町の女性たちはどんどん洗練されて
変身していきます。

そして評判は広く外の町にも伝わるようになり
エドワードはとうとうテレビ出演まで果たします。
一躍人気者です。

でも、そんなある日、
キムのボーイフレンドのある悪い企みに加担してしまった
キムとエドワードは、事件に巻き込まれ
結果的にエドワードが全ての罪を背負い、とうとう
警察に連行されることになってしまいます。

それをきっかけにして、人々はエドワードを排除し始めます。
エドワードは人々の好奇心の対象から、憎悪の対象へと
変わっていくのです。
でも真実を知っているキムも、エドワードの責任ではないと
人々に知らせる勇気はありませんでした。
自分に矛先が向くことや、
ボーイフレンドからの仕返しが怖かったのです。
次々不幸な出来事が続き、エドワードは追いつめられます。
そんな中でもキムは、彼女を思い、かばうエドワードに
どんどん惹かれていくのでした。

手が鋭利なはさみでできたエドワードは誰かに近づこうとすると
ちょっとしたことでも相手に傷をつけてしまうことがあります。
エドワード自身も、顔にしょっちゅう傷をつけています。
近づけば近づくほど傷つけてしまう。

ようやく気持ちが通じ合ったキムを抱きしめようとしても
「できない」と言います。
でもキムがそっと彼の手を取り、自分から彼に飛び込んで行き、
ふたりは傷つけることなくしっかり抱きしめ合います。

でも、町の人は彼を許しません。
日を追うにつれ、彼らの怒りはヒートアップします。
異端な存在への恐怖心がそれを煽っているのです。
事実無根の誹謗中傷が飛び交い、
エドワードはどんどん追いつめられます。
何をやっても悪い方向へ行ってしまいます。
人々の非難の対象となった彼には
もはやこの町に居場所はありません。

エドワードはやっとの思いで城へと逃げ帰ります。
でも、町の人は追跡の手をゆるめません。
警察が逮捕しないなら、自分たちが追い詰める、と
皆で大挙して城に押し掛けるのです。

中でも、キムにふられた元ボーイフレンドは
どうしてもエドワードが許せません。
「あんな化け物に負けるなんて!」
そう地団駄を踏み勘違いな復讐をしようとします。
そしてエドワードを殺そうとして
町の人々より一足先に城に入っていきます。
でも、そこにはエドワードに愛を告げに来たキムがいました。
そのことがますます元ボーイフレンドの怒りに火をつけます。

彼の怒りはキムにまで向かって行ったため、
エドワードはこの元ボーイフレンドを殺してしまうのです。
そしてキムはエドワードを守るために、彼も一緒に死んだ、
と押し掛けた町の人々に嘘をつき、そのまま城を去ります。
その後、ふたりが会うことは二度とありませんでした。

なぜ町の人々はエドワードを排除しようとしたのでしょうか。
それは奇抜なもの、変ったものを受け入れることが難しいから?
得体の知れないものに対する恐怖でしょうか。

私はこの映画を見ていて
エドワードとは、人間の中のダークサイドのシンボルなのかな
と思いました。

もし、この町全体を一人の人間の内面だと仮定したらどうでしょうか。
そしてエドワードの奇抜さ、不気味さが人間の誰もが持つ
得体の知れない暗黒の部分だとしたら?

人間にはネガティブな部分も、ポジティブな部分も
いろいろな面があります。
ちょうど、この主人公たちが住む町のように、
きれいで快適で清潔な家々があり、
また一方で、エドワードの住むおどろおどろしい
一体その中がどうなっているのかわからないような城もある。
それぞれは相反するものだけれど、それが混然一体となって
実はひとつの町の景観を作っています。

エドワードが人間の様々なダークサイドの象徴だとしたら
最初は誰でも自分のそんな部分を
ちょっと好奇心で見てみたくなります。
自分の中のネガティブだったり、
暗い部分、知らない部分に興味がない人はいないでしょう。
だけど、そこは近づくと傷つくかもしれないのです。
誰だって自分の中の暗い部分は、できれば見たくない。
知らない、というだけでリスクが大きいと感じます。
そして、そんな部分を好きか嫌いかと聞かれれば
「嫌い」と答える人が多いはずです。

そして、何か都合の悪いことが起こると、それをきっかけに
今度はそれを「悪」だとして排除しようとするのです。
そして、また町の隅のお城に閉じ込めてしまうのです。
まるでなかったことのように。
臭いものにふたをするかのように。

でも、エドワードが町に現れることで
町は確かに変わりました。
変化がありました。
同じ家、同じヘアースタイル、同じ犬、同じ生活。
それに変化が訪れたのです。

でも大きな変化を人々は好みません。
そして都合が悪いものは見たくありません。
エドワードが自分たちに利益をもたらし、
生活に刺激を与えてくれるうちは優遇しました。
その程度なら、彼を認めてやろう、ということです。
そこにいてもいいよ、そのくらいおとなしくしているなら…。

でもひとたび、彼が何かを傷つけてしまったなら
それは決して許されません。
たとえ、その傷がすぐに治ってしまうような小さな切り傷だとしても
人々は「傷ついた!」と大声を上げ、エドワードが「悪」だと責めます。
そして、目の前から消えろと追いつめるのです。

でも、エドワードがキムの元ボーイフレンドに致命傷を与えたのは
その元ボーイフレンドがエドワードを殺そうとしたからです。
そうしなければ、エドワードは近寄ることで多少の傷をつけたとしても
決して命までは奪おうとはしません。

そしてエドワードが時々城からおりてきても、
私たちがエドワードの存在を認めていて、
力で彼を排除しようとしなければ
町並みに変化が訪れ日々の生活の色合いが変わる等によって
そこに少なくとも「ある個性」が出現するだけのことなのです。
そして個性は「悪」でも「善」でもありません。

さらに、画一化された町並みに、奥行きを与えているのが
町の隅にある、エドワードの城であるのも確かです。
それはちょっと恐怖を与える景観かもしれません。
でも、このことで町が様々な表情を持つことができるのです。

それに、エドワード自体はとてもピュアでおとなしい存在です。
そのことに本当に気がついたのは、彼を受け入れたキムでした。

私たち人間も、これと同じなのかな、と思いました。
いろいろな面があるからおもしろい、それが個性。
誰一人として同じ人間はいない。
いろいろな面によって唯一無二の景色を創ることができるのかなと。
つまり町全体が、全体としての自分なのですね。

私の中のエドワードは、しょっちゅう私の住む場所に来ます。
そしていろいろとやってくれます(笑)
でも、私は、このエドワードも、エドワードの住むお城も
私を構成している一部だと認めようと決めています。
だから私はエドワードが現れても、無視しません。
でも取り立てて彼を重用することもありません。
ただ、エドワードが「いる」姿を見つめています。
そうすると、エドワードはエドワードらしさを発揮した後
自分で城に帰っていきます。

彼が去って行った後を見てみると、自分の中のエドワードが
どんな特徴があるのか、とてもよくわかります。
それを見て落ち込む時もありますし
へえ~~とかなり冷静に眺めることもあります。

エドワードは私のすべてではありませんが
一部であることは確実なのです。
だからできるだけうまく付き合いたいと思っています。
つまりエドワードは私なのです。

だから私は最近、自分の中のエドワードを抱きしめようと思っています。
確かに「嫌だな」と思ったりもするし、抱きしめるには
ちょっとした工夫も多少の勇気も要ります。

だいたい私の中のエドワードはジョニー・デップのように
ハンサムではないでしょうし…(笑)

でも時々は抱きしめることができるようになりました。
けがをしてしまうかもしれないけど
そっと近づけば大丈夫。
はさみがあったって、刃の部分をうまく避ければ彼自身は何もしません。
確かに傷ついたら血は流れるけれど、その傷は必ず癒えます。

この映画の原案を作ったティム・バートンが
私の感じたように意図したかどうかわかりません。
でも、もし同じだとしたら、ティム・バートンは自分のダークサイドと
どうやったら付き合えるか、彼らをどうやったら
自分の中で良い形でいかせていけるかを、
ずっと考えているのではないかと思いました。
ティム・バートンはつまり、映画製作を通じて
自分を愛そうとしている人なのかもしれません。

そして、城に逃げ帰ったエドワードを心配して追いかけて
守ろうとしたキム。
驚いたエドワードに「愛してる」と告白した時の彼女が、
一番たくましく美しく見えました。
キムはエドワードを愛していることを認めることによって
きっとバラバラになっていた自分を一つにまとめることが
できたのだと思います。
だから、愛する人を守る力が生まれたのでしょうね。
人は分裂してしまった自分を調和できたときに
初めて人を助けることができる力を得るのですね。

だから私は、多くの人がこの映画を見て感じる「切なさ」は
自分が大切な自分自身のある部分を否定してしまう
「悲しさ」「切なさ」に繋がってもいるのかしら?と思ったのでした。

それにしても、ひとつ疑問が。
ピノキオもそうですけど、そしてフランケンシュタインもそうですが
どうして男性の作る人造人間って、男性ばかりなんでしょうか?
どうして男性科学者は、女性を作らないのでしょう?

文化人類学でも、古典でも、心理学でも何でもいいので
どなたか頭の良い方でご存知の方がいらしたら
教えてくださいね。

でもまあ、映画は普通に楽しく見るのが一番ですよね!
[PR]
by lovingangelsnadia | 2009-11-03 19:55 | 天使のメッセージ