ドリーン・バーチュー博士公認エンジェルセラピープラクティショナー(R)の千鶴が、天使からのメッセージをお届けします。エンジェルリーディングのセッション等については、私のHPをご覧ください♪


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”情熱”って…。

今日の鎌倉はお天気は良いのですが
とても寒くて、観光客の方も少なめでした。
全国的にもとても寒い一日でしたね。

私は今年の11月から来年にかけて
様々なタイプのワークショップを開催するに当たって、
鎌倉での新しい会場の下見に行ってきました。

そして、今後仲良くお付き合いさせて頂けたら良いな♪
と思える場所が、由比ヶ浜の近くに見つかりました。
そこは築70年の古い日本家屋なんですよ。

オーナーご夫妻に中を案内して頂くと
室内の懐かしく落ち着いた雰囲気に癒されて
私にはたくさんアイディアが浮かんできました。

「ここで、こんなことできたらいいな♪
あんなことできたらいいな♪
こ~~~んなこともできたりして!!!」

ワクワクしながら打ち合わせを終えて、
そちらを後にしました。
そして、具体的な事にいろいろと思いを巡らせながら
所用を済ませていると、今度は全く違う考えが
私の中に生れてきました。

「さっきはあんな風に思ったけれど
もしかして、そんなこと実現できないかもしれない。
実現できたとしても、そんなこと意味ないことなのかも。
誰も賛同してくれないかも…」

論理的で理性的で現実的なお利口さんの私が
頭の中でしゃべり出しました。
それと同時に私の中で不安がむくむく~っと
すごいスピードで成長し始めます。
むむむ…。
そして、なんとなく足は海岸の方へ向かいました。
今日はかなり寒いですが、潮風に吹かれたら
すっきりするかもしれません。
それにキラキラ光る水面を眺めながら、ただ歩くだけでも
いつも私の気持ちは落ち着いてくるのです。

ゆっくりと砂を踏みしめて、人があまりいない
季節外れの海岸を歩きます。
大通りに近い方の浅瀬では、サーフィンをする人もいます。
犬の散歩をする人や、観光客が記念写真を撮っている
普段の海岸の情景です。

頭の中を整理しようと思いました。
そもそも、素敵な場所を見つけることができて、
その場所自体は気に入り、だからこそ
新しいアイディアやビジョンが沸き起こって来たのに
どうして私は「無理かも」と思ってしまったのでしょう。
それも、坂を転げ落ちるかのごとく
「ワクワク」から「モヤモヤ」まで急に変化してしまいました。

「なんでだろう???」

そして、ふと海の方を見ると
一人の男性の泳ぐ姿が目に入りました。
でも、ちょっと変わっているのです。
この時期、海に入る人は、サーフィンする人くらいなので
必ず全身を黒いウェットスーツに包んでいます。
しかし、私の目に入ったその男性は
明らかにTシャツと、黒い短パンのようなものを
身につけているだけなのです。

初めは
「もしかして入水自殺???」と思いました。
この真冬の海に真夏と同じ格好で入るなんて
何か特別な理由でもあるに違いないとすぐに思ったのです。

でも、岸に向かって波に乗り、のんびり泳ぐその姿からは
緊迫感は感じられず、そこだけ切り取ってみたら
まるで季節を勘違いしてしまいそうです。

彼は岸に着くと、這って海から上がろうとしていました。
海藻がまとわりつくので、立てないから這っているのだと
思ったのですが、それにしても全然立とうとしません。

もしかして足が冷えてしまって、うまく立てないのかな。
それとも、腰が抜けちゃったとか???

すっかり自分の頭の中を占めていた
「私のアイディアなんてダメかも…」は
どこかに飛んで行ってしまい
目の前のその男性の動向に釘付けになってしまいました。

彼の全身が海の中から出てきました。
もう波もかからないし、海藻もあるはずもないのに
彼はまだ這っています。
よく見ると、その体の左足のひざから下はありませんでした。
片方の足の膝から下がないので、歩けず這っていたのです。

ゆっくりと砂浜を這って行くその先には
キャンプ用のいすに、ちゃんと着替えや義足が置いてありました。
彼は自分のペースで着替えを始めました。

その様子をじっと見ていて、
なんだか私は勇気が出てきました。
とても清々しい気分になったのです。
いつも海に来ると気持ち良いけれど、
彼の姿を見ていて、さらに力が湧いてきたようでした。

私は彼のそばを通り抜け、さらに浜辺を歩きました。
急に笑いたくなるような、そして体が軽くなったような
生まれ変わったような気持ちです。

青い空、そして眩しい太陽。
すごいな、気持ち良いな、
ただそんな風に思いました。

そして、さっきまで頭の中で
騒々しく動き回っていた考えは
すっかりどこかへ行ってしまいました。

でも、
「あの人は、なぜあんなことをするのかな」
そう考えて、そのことが分かった瞬間
急に泣けてきました。

涙が次から次へと流れてきました。

「なぜ、あんなことをするのか」
それが急にわかったからです。
そうしたら、今度私は、由比ヶ浜で
人目もはばからず泣き出してしまったのです。

「情熱」
その言葉が浮かんで来ました。

人を真冬の海で泳がせてしまうもの、
人を突き動かすもの、
理屈では測れないもの。

どんな理由があるにせよ
体が不自由な彼を冷たい真冬の海で
何かが突き動かして、泳がせているのです。

もしかして、リハビリなのかもしれないし
精神の鍛錬かもしれないし、
ひょっとすると自分を断罪している行為なのかもしれません。
私にはそれを推し量ることはできないけれど
私に伝わってきて、涙させ、力を与えてくれたのは
その彼からある種の強い思いが伝わって来たからです。

でも、その「情熱」ってなんてややこしいものなのでしょう。
真冬の海で、しかも軽装のまま泳ぐなんて
多くの人から見たら正気の沙汰とは思われません。

それに、彼の這って行く姿や、白人男性らしい
肥った重たそうな体や、そこにまとわりつく濡れた衣類は
どう見てもカッコよくはありません。

何の理由が彼を動かしているかはわかりませんが
冷やかな目線を送る人もいましたし、
スマートな感じには見えません。

でも、
私は彼をとても美しいと思いました。
本当に人間らしいと思いました。
それが私の中心を震えさせたのです。
だから私は涙を止めることはできませんでした。

人が何かに「情熱」を持った時、
それは人生に潤いや喜びを与えてくれますが
同時に「情熱」とは、まるで冷たい冬の海に飛び込むような
理性では考えられないようなこともさせてしまうのです。

そして場合によっては、その海で
溺れてしまうかもしれません。
常に理性とは逆を要求してきたり、人からは理解されない
ことを続けることを選択しなければならないかもしれません。

「情熱」を持つがゆえに、そのことで
人は大いに喜び、反対に大いに悲しみ、孤立し、苦しむのです。
時には命さえも捧げなければならないかもしれないほど
「情熱」は多くのものを私たちに要求してきます。

「情熱」との関係はとても難しいです。
スマートにカッコよく付き合うなんてことは
できないのかもしれません。

だけど、人を中心から感動させ、震えさせてくれるのは
そんな「情熱」を持った不器用な人の姿です。
私は自分がそういう人に愛を感じるのだということに
気がつきました。
そして、自分自身をその姿に投影していることにも
気がつきました。
同じものを持っているから、共感して涙することができるのです。

また、泳ぐ人を目撃するまでの私の心を落ち込ませたり、
あるいはワクワクで一杯にしていたものたちに対して
私は「情熱」を傾けているからこそ
いろいろな感情を刺激されていたのだとわかったのです。

私がモヤモヤし始めたのは
理性が「そんなこと理由がない、前例がない」と
まるで役人のような杓子定規なこと言いだして
私の情熱という、非論理的で理性では整理しがたい部分を
消そうとしていたからなのです。

私はあやうく、自分の中の「情熱」にふたをしてしまうところでした。

私のしようとしていることも
真冬の海に飛び込むような、砂浜を這うようなことなのかもしれません。
でも私の中心に沸き起こってきたものを
私自身が消してしまってはいけません。

人を突き動かすものは、決して理性では説明できないもので
時には危険で、さらにスマートには行えないことなのかもしれません。

でも、私が泳ぐ人を見て感じたものは確かです。
心が震えて、私は私の中心にあるものに触れました。

私は人間です。
だから、肉体があります、精神もあります、見えないものも
身にまとっています。

だからもし私がこれからも
自分の中にある情熱に従うのであれば
私は、やっぱり海で溺れてはいけないと思いました。
少なくとも、溺れないように気をつけて泳ぐべきなのでは
そう思いました。

あまりの寒さに風邪を引いたりしたとしても、
溺れてしまっては、自分の中に芽生えたものに対して
結局は忠実だと言えないのではないかと思ったのです。
私は生きているのだから、肉体があるのだから
それも大切な一部なのだから…。

溺れないのは、とても難しいことだとわかっていても、
やっぱりそうしたいのです。

心から何かに打ち込んでいる人は本当に美しい、
改めてそう思います。

ただ、その美しさは「見る人」の中にあるものであって
決してその人自体の容姿や状態から発せられるものでは
ないのでしょう。

私が私自身の中に、小さくても「情熱」の種を持ち続けていれば
きっと、それがいつか花開いてくれる、そう信じていますし
それに栄養を与えてくれるのは、自分自身の求める気持ちだったり
ひたむきに生きている誰かの姿なのだと思います。
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by lovingangelsnadia | 2009-12-18 19:19 | 天使のメッセージ