ドリーン・バーチュー博士公認エンジェルセラピープラクティショナー(R)の千鶴が、天使からのメッセージをお届けします。エンジェルリーディングのセッション等については、私のHPをご覧ください♪


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大きな流れの中で

数年前、自分を見失い、完全に道に迷っていた時期が
ありました。
毎日毎日、死にたいと思い、自分にふさわしい死に場所を
探しては、車で何キロも何キロも移動をし
見つけられずに戻ってくることを繰り返していました。
あるとき、ふと
「死ぬってどういうことだろう。」
と思いました。
それまでは漠然と「死にたい」とばかり考えて
フラフラとしていたのですが、
「じゃあ、死ぬってどういうこと?」と単純に
気になりだしたのです。

そして私は「死」に一番近い場所にいくことにしたのです。
それはホスピスでした。
当時私の住んでいた九州のある都市には
ホスピスはひとつしかなく、私の家からは比較的近くに
ありました。

たまたま知り合いから、そこでボランティアを募集していると
いうことを聞いていたので、すぐにやらせてもらうことに
なりました。

週に一回、3時間くらいだったと思います。
それを4ヶ月ほど続けました。

初めてホスピスに行ったときは、あまりにそこが
静かで穏やかなのでびっくりしました。
病院にありがちな緊迫感や、よそよそしさ、
それからあわただしい雰囲気が全くないのです。
まるで建物全体が眠っているようなのです。
でも、全く嫌な感じがしません。
むしろまるで天国のような、我が家のような
落ち着いた暖かさに包まれていました。

ボランティア初日、面会のご家族と患者さんが
一緒にお茶を飲む「喫茶室」を手伝いました。
午後の2時くらいから、次々と人が集まってきます。
ほとんどの患者さんが車椅子で、それをご家族が
押してきて、クッキーやお茶を楽しみます。

笑い声が廊下に響き、私たちも会話に加わります。
時々ドクターがニコニコしながら様子を
見に来ます。

もうすでに「飲んではいけないもの」「食べてはいけないもの」は
ないのです。
すべての患者さんが好きなものを注文します。
そして私たちボランティアは、
心をこめてひとつひとつをサービスします。

まるで何もかも知っているのにそれを
隠すように、笑顔で接することに
誰も違和感を抱いてはいないようでした。
しかし「もう何も禁止されることがないくらい」
切迫しているのです。
それでも、心から会話を楽しみ
お茶とお菓子を楽しむ。
それは悲しい覚悟と理解のうえに成り立っている
砂の城のように感じられました。

初日の帰り道、車を運転していて涙が止まらなくなり
「もう二度と行かない」と思いました。
特別なことをしてきたわけではないのに、
悲しくて辛くて、なんとも言えない感情があふれてきて
号泣してしまいました。

でも次の週に、また私はホスピスへと向かいました。
非常に不謹慎ですが、それは「死への興味」が
そうさせたのかもしれません。
とにかく私は何かの答えが欲しかったのです。
初日の体験は貴重でしたが、それだけでは
まだ何も来た意味をつかめてはいませんでした。

愕然としたのは、たった一週間前にきたばかりなのに
20弱ある病室のうちのほぼ9割の部屋で
前回に見た患者さんの名前が消えていたことです。
私は改めて現実を見せ付けられた思いでした。
ここは普通の病院ではなく
天国に一番近い「ホスピス」なのです。

それからの数ヶ月は、ただ淡々と
車椅子を押してお庭を見せてあげる係りになったり、
シーツをかえるのを手伝ったり、コーヒーや紅茶を
運んだり・・・といった仕事を続けていました。

そして私がボランティアをやめるきっかけになった
ある患者さんとの出会いがありました。

その日は看護士さんから「今日は何もしなくていいから
この人のそばにいてあげて」と言われ
ある初老の男性の病室へと案内されました。

その男性はすでに痩せこけて、髪は白くなり
もうしゃべることもできずにベッドに横たわっていました。
上半身におびただしい数のモニターのコードをつけていて
それを時々引きちぎってしまうので、手を握ってさすり
声をかけ続けて、もしも引きちぎったときはナースコールを
すぐにするように、とのことでした。
私は一瞬戸惑いました。

いくら病床とはいえ、その男性にはお世辞にも
清潔感はなく、またとてもくたびれていましたし、
まさに最後のときを迎えるだけの状態だったのです。
しかも、こんな状態になっているのに
家族が一人も付き添ってくれていないなんて、
「きっとろくな生き方をしてきてないんだな」
などど私は勝手に解釈して、ちょっと気が引けていました。

しかし断るわけにもいかずに、言われたとおりにすることに
して、まさに虫の息で眠っている男性のベッドの脇に座りました。
多少抵抗はありましたが、男性の手を握り、ずっとさすっていました。

そのまま10分、20分と経つうちに、だんだんと私の抵抗も
薄れてきて、手を握ってさすることにも慣れてきました。
私も調子が出てきたので、小さな声で歌を歌ったりしていました。
冬の午後、私と見ず知らずのおじさんと二人、
本当に静かに穏やかに時間が過ぎていくようでした。

しかし病に冒されている現実は残酷です。
静かに眠っているだけだったのに、突然「うお~~~~!]
と叫び声を上げたかと思うと、渾身の力を振り絞るように
上半身を起こし、モニターのコードを引きちぎったのです。
私はあまりのことに気が動転してしまい、どうしていいか
わからなくなってしまいました。
なんとか気を取り直してナースコールをすると
看護士さんが一人やってきて、体を抑えて横にして
モニターのコードをまたひとつづつ付け直していきました。
「すぐにおさまるから、ちょっとだったら自分でコードを
つけてあげてね、よっぽどだったらまた呼んで。」
とあっさり言われて終わりでした。

私はあまりのショックにしばらくは呆然としていました。
もうしゃべることも、食べることも、何もできないはずなのに
起き上がって叫ぶほど痛みはひどいのです。
まさに断末魔、です。
それから2回ほど、発作のように、同じことが繰り返されました。
私はだんだんとこの人が他人に思えなくなってきて
なんとか楽にしてあげたいとまで思うようになり
来てくれたドクターにこう言いました。
「モルヒネとか、なんでもいいのですが、なんとか楽にして
あげてくれませんか。」
ドクターは遠くを見るような目で寂しそうに言いました。
「私もそうしたい。でももう何もできないんだ。」

きっと今の状態でモルヒネなどを投与することは
ショックを引き起こし、そのまま死につながるので
それは医師としてはできないということなのでしょう。
私はまた愕然としました。
「楽に死ぬことさえできないんだ。」

釈然としない気持ちで、ただただこの人が気の毒で
その気持ちだけで、手をさすり、歌を歌い、名前を呼びました。
そして、思いました。

人間は死ぬ瞬間までは、どんなに苦しくても死にたくても
辛くても生きていなければならない。
この人は、ひとりぼっちで死を迎えるなんて、
寂しい生き方をしてきたのかもしれない。
だけど、人間は死ぬまでは、どうやったって生きなければいけない。
たとえ惨めでも格好悪くても、生きなければいけない。
最後の最後まで生きることをやめてはいけない。
そのことをこの人は、他人の私に全身全霊で教えてくれている、と。

このおじさんの人生のことはわかりません。
でも最後の最後にまったく縁のなかった私に
苦しみ戦う姿で、多くのことを教えてくれたのです。

死にたいと思い、ただの興味でホスピスに来た私でしたが
彼によって頭をハンマーで殴られたような
感動と衝撃を与えられました。
そして自分の浅はかさ、それからいかに自分を大切に
していなかったか、自分という生命とエネルギーに鈍感で
小さな中で暮らしていたことかを思い知らされたのです。

私達は何回も何回も輪廻転生を繰り返し
魂のレッスンをして、磨き続けます。

今、私たちが生きている、今の自分としての生は
大きな大きな流れの中のひとつなのです。
その中で私達はもがき苦しみ悩み生きています。
そんなときの私達は目の前の出来事に
右往左往して、それをすべてだと思ってしまいます。

でもそんなときこそ、大きな大きな流れの中に
いることを考えてみてはどうでしょう。
私達はそれぞれが尊い、そして愛の存在です。
私たち自身が大きな流れなのです。

小さな一瞬に喜びも悲しみも詰まっています。
そのときの流れが積み重なって自分を創っています。
どんなことでも、どんな状態の自分でも
大切だし、かけがえのないものなのです。

そして私たちは今を生きることに全力を
注ぐのです。
過去でも未来でもなく、今の自分です。

私は彼と出会い、ボランティアをやめることに
しました。
かけがえのない人生と自分のエネルギーを
無駄にしたくない、最後のときまで、生きることを
諦めてはいけない、と思ったからです。

死にたいと簡単に考えていたことも反省しました。
苦しみながらもまるで光が彼を包んでいるように
見えました。
なんてありがたいことなんだろう、なんてこの人の
人生は素晴らしいのだろう、と思いました。
そして今までの自分の気持ちを思い出しながら
「ありがとうございます、ありがとうございます。」
と寝ている人に何回も何回も頭を下げました。

そして、とにかくできることから始めようと思い、
そのときにパートタイムで勤めていた会社から
社員の誘いがあったので、それを受けました。

私たちは大きな大きな素晴らしい流れの
一部であると同時に、その流れを作っているのです。
だから、自分の意思でよりよい流れに
していくことができるのです。

そのことを彼が教えてくれたように
感じ、今も時々思い出し感謝しています。
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by lovingangelsnadia | 2006-11-08 10:07 | エンジェルセラピー