ドリーン・バーチュー博士公認エンジェルセラピープラクティショナー(R)の千鶴が、天使からのメッセージをお届けします。エンジェルリーディングのセッション等については、私のHPをご覧ください♪


by lovingangelsnadia
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

無条件の愛

私の手元に一枚のポストカードがあります。
これは2年ほど前に上野の国立美術館で行われた
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展で手に入れたものです。

絵画の題名は「書物のあるマグダラのマリア」です。

美しい上半身をさらけだしたマグダラのマリアが、
暗い部屋の机のようなものの前に腰掛けています。
机の上には書物が広げられていて、長い髪をたらした
マリアが、その書物の前でイエスのものと思われる
愛しい人の頭蓋骨を穏やかな表情で手に取り眺めています。
その状況をろうそくの淡い光が包んでいます。

ラ・トゥール展を見に行った時、この絵画に魅せられてしまい
前から離れられなくなってしまいました。
(この絵画、なんと個人蔵なんですよ!)

マグダラのマリアは聖書の中に登場する有名な女性ですが、
娼婦であったと考えられることが多く、イエスに出会うことで
改悛し、その後はイエスの処刑に立ち会い最後を見届け、
そしてイエスの復活を最初に目撃したのも彼女だとされています。

そしてドリーン・バーチューの女神のガイダンスカードには
マグダラのマリアは「無条件の愛unconditional love」の
カードとして登場しています。

イエスは旅の途中で、一番罪深いとされた職業についていた
マグダラのマリアを祝福して、その体に触れさせ、そして改悛
させたという意味で、ドリーンは自らのガイダンスに従って
これを無条件の愛と位置づけたのかもしれません。

では、”無条件”とは一体どういうことでしょうか。

それは簡単なことで、一切条件がない、ということです。
つまり、愛することに何の縛りも、要求も前提もない、ということです。

私達人間は、常に宇宙や、神や、大いなる力の元に生きています。
そして、その力は、愛であり、その愛は無条件です。
私達は「こうあらねばならない」という前提があって、
それに従うから愛されて、守られているわけではなくて、
私達が私達であるということだけで、愛の対象となっているのです。

でも、私達は、その無条件の愛を、
ちゃんと感じられなくなる時があります。
それはあまりにも自然で、あるのが当たり前になっているからでしょう。

どれくらい、この無条件の愛が自然に存在しているかと言うと、
それは、例えば
私達が、体に悪いと思っていても
タバコやお酒が止められなかったり、
このままでは自分の人生が生きられない、と分かっていても
生活を変えられなかったり、仕事を変えられなかったり、
大切な人を裏切っていたり、不満を言い続けていたり
付き合いたくない人と付き合っていたり、
愛する人に愛を打ち明けなかったり
誰かを恨んでいたり、やらなければいけないことをサボったり
もう諦めたほうがいいと思っていることに執着していたり・・・

どんなにいいことでも、あるいは良くないと思っていることでも
宇宙は私達が自分で「止めよう!」と決心して、
あるいは体が悲鳴を上げても、
私達が「止める」ときまでは、一切強引に止めさせようとはしません。
よくも悪くも、まったく私達の意志の通りに”させておいて”くれるのです。

時として、中毒患者が更正施設に入っても、
出てきてから再度中毒に戻ってしまったり
犯罪を犯した人が、刑期を終えて出所しても、
再犯を繰り返すことがわかりやすい例かもしれません。
どんなに厳しく処分されても、管理されても、本人の意思を変えることは
本人にしかできなくて、その通りのことをさせておいてくれるのです。
逆に強い意志で、どんな誘惑にも負けずに立ち直った方もたくさんいます。

そして、私達が大好きな天使も、私達がお願いしなければ動けないのも
私達の自由意志に任されているからなのです。
一切押し付けが無く、そのままにさせておいてくれて、
本人の選択のままにさせておいてくれる・・・
つまり、それが「無条件の愛」なのです。
ありのまま、そのまま。
その状態がいいのか、悪いのかなどということは一切関係ない
自然に、当然のように降り注がれる愛なのです。

無条件の愛とは、私達に選択権が与えられている、ということなのです。
私達は無条件に愛されているのですから、その私達が
選択することは絶対的に保障されているということなのです。

そして、私達には生きる目的があります。
それは「幸福であること」です。
無条件の愛に包まれているのですから、そしてそれは
私達の自由と意思を保障されているものなのですから
これを活かさない手はありませんよね!?
というよりも、よりよいものを選ぶのが私達の本質であるはずです。

私達は、自分にとってふさわしいもの、良いもの、愛すべきものを
選び、そしてそれに基づいて生きる自由があります。
縛っているものは、他でもない、自分自身だけなのです。

意思を持っている私達は、選択をする自由が与えられています。
それならば、どちらを選択すればいいでしょうか。

やりたくないこととやりたいこと。
愛を感じることと感じないこと。
体に負担を感じることと、体が軽くなるようなこと。
楽しいことと楽しくないこと・・・

私達が無条件の愛を、自ら体現することは実は簡単なのです。
自分にとって「よきもの」を選択するだけでいいのです。
複雑に考える必要はありません。

イエスを目の前にしたマグダラのマリアは、他の人の目を
気にすることなく、そうしたいから、イエスの足に涙を落とし
自分の髪の毛でそれを拭い、香油を塗りました。
そして、それをイエスはただ受け入れていました。
周りにいた人はどんなに驚いたことでしょう!

驚き嫉妬した人は、素直に行動できなかった人なのでしょう。
自分にとって「よきもの」を選択するということよりも
その状況にふさわしく合わせることを優先したからです。

今、この世界で生きていること。
やりたくないことを続ける自由と、やりたいことを続ける自由。
それらを与えられた無条件の愛の存在である私達。

もっともっと、身近な大切なものに気が付いていけば
いかに私達が守られていて、ありのままであることを許されていて
選択をすることが与えられているということが
わかるのではないかと思います。
そして、それに気が付いたとき、深い感謝の気持ちとともに
他者に対しても無条件の愛を注ぐことができるようになると思うのです。

私達は常に守られて愛されてる、無条件の愛を注がれている存在
なのですから、それと同じ事をこの地球で、
この場所で、この生活の中で体現できないはずはないのです。
[PR]
by lovingangelsnadia | 2008-02-13 13:28 | 天使のメッセージ