ドリーン・バーチュー博士公認エンジェルセラピープラクティショナー(R)の千鶴が、天使からのメッセージをお届けします。エンジェルリーディングのセッション等については、私のHPをご覧ください♪


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その時までは

もう十年以上も前ですが、私は九州のあるホスピスで
ボランティアとして働いていた時期がありました。

それは、その時期の私自身が自分の存在をこの世から消したいと
思っていたために「死」というものに強く惹かれたからです。
だから、少しでも近づいて知りたいと思っていました。

以前このブログにも書きましたが、結局、私はそこで
逆に「生きる」ことを強く意識することになり、新しい人生を
歩み始めるきっかけをもらったのです。

私がその日担当した初老の男性は、今夜か明日かという
状態にあり、すでに意識はありませんでした。

そして時折、いわゆる断末魔のあえぎで暴れるのを
押さえてドクターを呼ぶのが私の仕事でした。
その仕事は、どう考えても気の滅入るものでした。
半年続けてたその仕事でも、一番抵抗を感じたものでした。

しかも、死の床にあるのにも関わらず、彼にはかけつけて
そばで励ます家族や友人さえいません。
見ず知らずの赤の他人である私が、ただ仕事として
その人の手を握り、歌を歌い、寄り添っているのは
どう考えてもおかしな光景に思えて、それが
いかにも彼の問題がありそうな人となりを表わしているようで、
余計に私を落ち着かない気分にさせるのでした。

更に時折、まったく予測もつかずに断末魔のあえぎで
狂ったように暴れるそのさまは、本当に泣きたくなるくらい怖く、
どう対処していいかわからなくなりました。

でも、与えられた仕事をこなすうち、
手を握り、足をさすり、歌を歌い、寄り添ううちに
いろいろなことがわかってきたような気がしたのです。

死ぬということが、どういうことなのか、
逆に生きるということがどういうことなのか、
それを目の当たりに見せつけられた気がしました。

どうしてこの人はこんなに苦しんでいるんだろう、
なぜこんなことになっているんだろう、
私は何がしたくて、何が知りたくてここに来たのだろう・・・。

そしてとてもシンプルな答えが浮かびました。
それは
「死ぬときまでは生きていなければならない」
ということです。

目の前の骨と皮になり苦痛で歪んだ顔の男性は
更に苦しみにもだえて、息も自力でできません。
でも、彼はまだ生きているのです。
死ぬその瞬間までは、どんなにカッコ悪くても
情けなくても、みじめでも、苦しくても生きていなければならない。

それが生きるということなのかもしれない。

そして、私は果たしてそこまで試してみたといえるのだろうか、
そう考えました。

そう思うと、彼の姿がとても神聖なものに見えました。
彼はまさに今、「生きている」のです。
何も言わずに、ただ横たわっているだけなのに
彼の姿そのものが、生を力強く表現しているのです。

私は思いました。
「ああ、一体何をやっているんだろう、私は・・・。
もっとできることがあるのではないか」

傷ついて諦めようとしていた私を、ただ横たわっているだけの
苦しんでいるだけのこの患者さんが、言葉を発することもなく
体を動かすこともなく、ただ存在しているというだけで
癒してくれたのです。

その日、私には奇跡が起きました。
小さな病室で私は生まれ変わるきっかけをもらったのです。

死の一歩手前にいる、その魂の持つ最後の生の光は
傷ついた一人の人間を立ち直らせるほどの、大きなものでした。

私達の毎日は、どんなに平凡なものであれ、さまざまな出来事が
起こり続けて、飲み込まれそうになることもあります。

例え衝撃的なことがないとは言え、小さな苦しみ、悲しみが
塵のように積もって、いつしか大切な部分を蝕んでしまっていることも
あるかもしれません。

絶望は小さな死です。
でも、死は再生と背中合わせです。
死は生があるから存在するのですし、生は死があるから輝くのです。

だから、そのかけがえのない瞬間を、ひとつひとつ大事にして
もっと丁寧に生きられたら、と思います。
それこそが、重たい肉体を持って存在している意味なのではないかと
私は思っています。

自分の中心に置いておくのに、ふさわしいのは
どんなに外側の世界が荒れ狂おうと、静かで穏やかな秘密の湖のような
平和な心です。

でも何も感じず、感情の振れ幅をただ少なくさせるのは、絶望です。
それは生き生きとした人間のもつ本来のものとはかけ離れています。

感情を楽しみつつ、心の中心を穏やかで平和に保つことは可能です。
それこそが、私たちが探している「理想郷」なのかもしれません。
シャンバラは私達の中にあります。

昨日亡くなったKing of popは、最後に何を見たのでしょう。
(私は彼が大好きでした!)
私が悲しい気持ちになったのは、彼が決して心の平和を見つけ出すことが
できなかったのではないかと思ったからです。

個人的にも親しかったディーバック・チョプラ氏が
「薬じゃないもので痛みに立ち向かうことができるよ」と進言したそうですが
彼には届かなかったようです。

孤独なkingは、シャンバラは自分の外にあり、何かの形で誰からか
もしくは何かものから与えられるのだと考えていたのでしょうか。
それを彼は探していたのでしょうか。

自分の内側を見ることは、時として辛いことです。
でも、そこに本来あるのは、穏やかで平和な世界です。
そして、そこへ行くのは自分で行くしかない。
でも必ず誰かが手を差し伸べて見守り助けてくれます。
私たちは決して一人ではないのです。
例外なく、誰にでもそれは言えることです。
私たちはつながっているのですから。

ありのままを受け入れることで、確実に癒しは起こります。
それが私たち本来の姿です。

最後の瞬間、その時を迎えるまでは、私たちは生きることを選びます。
だから、そのひとつひとつを、より輝かせたい。
そのためにできることをやっていきたい、それを何であれ大切にしたい
そう私は思っています。
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by lovingangelsnadia | 2009-06-27 21:56 | 天使のメッセージ