ドリーン・バーチュー博士公認エンジェルセラピープラクティショナー(R)の千鶴が、天使からのメッセージをお届けします。エンジェルリーディングのセッション等については、私のHPをご覧ください♪


by lovingangelsnadia
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カテゴリ:天使のメッセージ( 107 )

祈る人

その人は冬の朝、北国のローカル線のホームに
立っていました。

次の電車まであと10分。

昨夜屋根に積もった雪が、
時折顔を出した太陽に溶かされ
水滴となってぽたぽたと落ちていました。

小さな乗換駅のホームには
地元の人が数人待っているだけで
雪は止んでも、体の芯まで冷えるような
寒さは変わらず、寂しい駅の光景が
それを余計に強く感じさせるようです。

「次の電車は2両編成です。
ホームの2両と書かれた場所でお待ちください」

そんなアナウンスが流れて、私は
2両と書かれた場所へ少し移動しました。

その人もまた、ホームの端から
こちらの方に歩いてきました。

でも、すーっと私の後ろを通り過ぎ
ホームの別の端の方まで行ってしまいました。
そこはすでに「2両」と書いた場所からは
離れてしまっています。

なんとなく気になって見ていると、
陽の当らない、私や他の人のいる屋根の下ではなく
ホームの端の、ある場所で
立ち止まりました。

彼はとても目立っていました。
他の人とは違った容姿をしているからです。
彼がある種の病を持っていることは
誰が見てもわかることでした。

「あったかそうだな~」
彼のいる場所を見て、私はそう思いました。
そこだけ雲の切れ間ができて
スポットライトのように陽が当たっているからです。
その朝は足を常に細かく動かしていないと
凍えてしまいそうな程の気温でした。
暦の上では春が来ていても
北国の寒さはこういうものなのか、と
身にしみて私は感じていました。

時計を見ると、あと少しで電車の到着時間です。
これから先一時間ほど、知らない町を目指して
初めての電車に乗る私は
その日差しの暖かさにはとても惹かれたのですが
安心して座るために、このままおとなしく
2両と書かれた場所で待っていようと思いました。

そう思い、足元の数字を確かめてから
何気なく、また彼の方を見てみました。

すると彼はさっきとは態勢を変えていました。
電車が入ってくる方向に完全に背を向けて
太陽の方向をまっすぐ向いて立っていました。
そして、ゆっくりと、その左手を上げました。

右手には小さなカバン、
そして左の手のひらを空に向け広げ
まるで知っている人に往来で会って
「やあ」とあいさつするようでした。

彼は手を上げると、今度はゆっくりと
頭をわずかに下げました。

それは「うん」とうなずくくらいの角度です。

その姿で佇む彼のいる場所は
まるで用意されていたかのように
明るく日差しが降り注ぎ
その中心に立ち
彼は左手に日差しを集めながら
まるで「誰か」と何かを話しているかのようでした。

でも、彼の方から何かを伝えているのではないような
そんな感じが私にはしていました。

左手を天に向かって差出して
彼は自分の掌を通じて何かを”受け取っている”
のではないかと。

「約束」

その言葉が浮かびました。

この人はきっと、「誰か」と何かを約束して来たんだ、
そして、それを今、確認している。
彼が今、何かをここで誰かに伝える必要はない、
なぜなら彼は常に自分を表現しているから。
そしてそれを見ている「誰か」が常に「いる」のを
彼は知っているから…。

何かをじっくりと確かめるかのように
数分間、彼はそのままの姿で立っていました。

それは、神聖で、とても美しいものでした。

私はそれをじっと見つめていました。
そして彼を通じて、私も何か特別なものに触れたことが
わかっていました。

彼は確かにその時「誰か」と話をしていました。
そして「何か」を受け取っていました。
それは「誰か」との「約束」の話なのかもしれません。
それとも、もっと違う話なのかもしれません。

「祈り」とは、
本当はこういうものなのかもしれない…。

あちこちの場所で、たくさんの祈る人を見てきましたが、
彼の姿は人間としての凛とした強さ、そして
尊さを私に強く感じさせました。

彼は祈りそのもの、でした。
そして彼を見ながら、また私も何かに触れて
一緒に祈っていたのです。

本当の祈りとは、その人そのものなのだと
私は思いました。

ガタンガタンと音を立てて、ゆっくりと
ホームに電車が滑り込んで来ました。

彼と私は同じ車両に乗り込みました。
私は席を見つけて座ると、彼がドアの前に
立っているのを見つけました。

次の駅に到着すると、彼は降りて行きました。
彼の少ない髪の毛が、冬の日差しと
残った雪の反射で、透けて見えました。

もっと姿を追っていたかったのですが
小さなその体は他の乗客に紛れてしまい
もう見つけることはできませんでした。
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by lovingangelsnadia | 2010-02-21 21:10 | 天使のメッセージ

“猫は猫らしく”

自分らしく生きるのが一番!と思います。
なぜ「自分らしさ」が大切なのかと言うと、
それが「本当の姿」だから、です。

そのことをたくさんの人も、書物も
教えてくれていますが、実際のところ
それがどういう意味なのか、
あまりピンとこないことも多いかもしれません。

バシャールという宇宙人とコンタクトを取る
セッションや本があります。

一時期ちょっとしたブームにまでなったほとで
ご存知の方も多いと思います。
私がこのブログで取り上げさせて頂いたことのある
お金の専門家、本田健さんも
なんと今年バシャールとの対談集を出版するということで
これによってさらに多くの方に知られるようになるでしょう。

そのバシャールのメッセージを集めた本に
「自分らしさ」について、こんな記述があります。

猫が猫であろうとすることによって、
つまり、あるがままの自分でいようとすることによって、
塀から落ちるリスクが低くなるのです。


昨日、ちょうど鎌倉で、私は
「スピリチュアルビジネスワークショップ」
というものをプロを目指す方向けに開催しておりました。

そこでも繰り返しお話しさせて頂いたのは
「自分らしさ」を大切に!
「自分らしさ」を見つけよう!
ということでした。
そこにビジネスの成功の秘訣もあるはずなのです。
なぜならそれが「たった一つだけのもの」
を生み出してくれるからなのです。

ありきたりの言い方ですが、どんな人も例外なく
神聖でかけがえのない存在です。

そして、その人その人の体験してきたことは
例え似たようなことだとしても
他の人と全く同じということはあり得ません。

たった一つの人生、
たった一つの経験、
たった一つの思い、
たった一つの大切なものなのです。

私たちが努力したり、目標に向かって突き進む時
ちょっとだけ気をつけておいた方が良いことがあります。

それは
「なにか別のものになろうとしてはいないだろうか」
ということです。

努力や忍耐強さは、何かを成し遂げようとした時に
必ず必要なことですが
それが現在の自分自身を否定するところから
発せられていないか、ということを検証してみる
必要があるということです。

多くの方はとてもまじめで、とても頑張り屋さんです。
だから人を喜ばせよう、安心させようと思うあまり
つい自分を見失いがちです。

人の目、人の評価を一番にしていると
本当は自分が何をしたかったのかを忘れてしまうことさえ
あるのです。

そして知らず知らず、自分自身から遠ざかり
人から求められている自分像を追い求めて
それになろうと必死にもがきます。

そこには本当の喜びも平安も見つけることはできません。

自分が自分から遠ざかるということは
たった一つしかないものが分離していくプロセスですし、
たった一つのものを否定する作業です。

だから私たちは途方もなく消耗していきます。

猫が猫らしくいると、それが一番リスクが少ない、
と言う意味は
猫が塀に上っている時に、「猫」だから落ちずに
楽々と塀を歩いているわけで、
急に猫以外のものになろうとすると
バランスを崩して落ちてしまう…
そういうことです。

猫だからこそ、不安定な塀を上を歩いていても
落ちない、ということ。
「らしくいる」のが一番リスクが低いのです。

だから、私たちも
「自分らしく」いることによって
あらゆることが統一され、調和させることができるのですね。

統一、調和は、さらなる統一、調和を生み出します。
バラバラになっていたものが、一つになります。
ですから、全てがスムーズに流れだすのです。

そして、「自分らしくいる」こととは
「自分を知る」ということです。

どんな自分でも、たった一つしかない自分です。
最初は見たいくない、認めたくない
あるいは全く意識していなかった自分を知って
びっくりしたり、困ったり、落胆したりするかも
しれませんが、
たった一つしかないものを知っていくのは、
本来楽しくてエキサイティングなことです。

そして、それは自分自身にしかできないことです。

そう思ったら、なんだかワクワクしてきませんか?
宝探しの冒険に出るみたいです♪

私たちが自分らしくいれば
どんな危険な冒険だって、どんな高くて薄い塀だって
決して落ちることはありません。

だったら、それを楽しんでしまいましょう!

猫は猫らしく…。

でもうちのチロ(猫)ちゃんは、
よくズルって落ちるんですよね~。
それを見ていると若干不安が(笑)
ちょっと(だいぶ?)おデブちゃんなものですから。

とにかく!
楽しく、自分らしく行きましょう!
で、太りすぎには要注意(笑)


******************
自分は自分らしく…ということで(?)
プロフィール写真をアップしました。

撮影は写真家の佐藤亜弥野さんです。
そしてバックは画家の松岡亮さんの
作品(実物)で、松岡さんにも
今回ご協力頂きました!
素敵なお二人に心から感謝です!
撮影場所は明治神宮境内で、
すご~く奇麗な良いエネルギーが
あちこちにあふれていました!☆感謝☆
******************

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by lovingangelsnadia | 2010-02-08 11:54 | 天使のメッセージ

ただ今、練習中!

何回も何回もやってみます、
諦めずに、こつこつと。

新しい習慣を身につけるって大変!
でも、何回もやっていけば
それは自然に、少しずつでも
必ず自分のものになります。

自転車は一度乗れるようになれば
下手になったとしても
乗れなくなることはありません。
体が、感覚が覚えてくれるからです。

寒いから、目が痛いからって
ずっと泳ぎに行ってない私でも
暖かくなったら、きっとまた泳ぎに行きます。
最初はちょっときついけど
またあの流れるような楽しさを思い出せば
少しは早く泳げるかもしれない。
それに、あの瞬間を思い出すだけでも
ちょっとだけイルカになれたみたい。

何か新しい自分を始めた時
それは新しいシステムを自分の中で
作り始めた時なのだと思います。

だから、最初は慣れなくて
何度も何度も意識して、繰り返し繰り返し、
自分の中にそのことを植え付けなければ
ならないので、
ちょっとうんざりしてしまうかもしれないし
なんだか途方に暮れてしまう気分にも
なってしまうかも。

でも、ちゃんと、体は、そして心も
私たちが望むこと、目指していることを
わかってくれていて
地味に協力してくれています。

地味に、というのは
「すこしずつなので派手ではない」
ということ。
でも、ちゃんと
「結果を出してくれる」
ということです。

私たちの体、心は
きちんとわかってあげて働きかければ、
見たい方向を一緒に目指してくれる
信頼できるパートナーです。

だから
何度でも何度でも
飽きずに、諦めずに繰り返します。

だから私はいつでも
「ただ今、練習中!」

そしてたまには、もしかして
日常のあらゆる瞬間にかもしれないけれど
練習の成果を試してみます。

それがうまくいけば
「やった♪」
もしうまくいかなかったら
「もう一回!」

そうやって続けます。
思考錯誤しながら、楽しみながら
自分と相談しながら
何度でも、何度でも。

それ自体が
なんだか「楽しいな♪」
と思えてきたなら
きっと、それは自分と仲良くなれた証拠です。

自分自身と仲良くなれたなら
前よりもっと
遠くへ、高くへ進めるような気がします。

だから
練習は楽しい!

だからいつでも、私は
「ただ今、練習中!」
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by lovingangelsnadia | 2010-01-31 23:55 | 天使のメッセージ

T先生のこと

T先生と出会ったのは、
かれこれ5~6年前だと思う。
私はその頃、非常に悩み苦しんでいて、
大変な時期だった。
どうしていいかわからず、
何でもいいからきっかけが欲しくて
とりあえず普通の占い師さんに相談するしか思いつかなかった。
そこでたまたまあるサイトで名前を見つけて、
完全にインスピレーションだけで先生を選び電話したのが
始まりだった。

その時にはこんなに長い付き合いに
なるとは思わなかった。
まあ、その頃の私は
それどころではなかったので(苦笑)

先生はいわゆる
「普通の占い師」さんとして約20年も活動されているので
正確に言えば私のやっていることとは違ってくる。
でも、私は自分の肩書がどう思われようと
表現してくださる方の言葉でOKだと思っているので
先生は、私にとっていわゆるこの業界の先輩としても
それから人生の先輩としても大切な人だ。

そして、本当に先生にはよく叱られた。

「どうしてそんなこと聞かないとわからないの?」
「いつまでも何をやっているの」
「考えすぎ」

そして
極めつけ
「修行が足りん!!!!」(涙)

ご指摘を有り難く心に受け止めて
前に進める日もあれば、正直
「この!〇そ、じ〇い!」(笑)
と思ったことも何度もある。
もう二度と話すもんか、と思った事さえある。

でも、どうしても
先生の言葉が気になってしまう自分がいて、
しばらくすると
またそこからいろいろな気づきがあり、
それを確かめたくて
再び先生のドアを叩いてしまう。

ある時、まるでエアポケットに入ったみたいに
本当にとんでもないことをしでかしてしまい
自分を完全に見失いそうになったことがあった。
その時初めて泣きながら話をした。
でも先生は優しかった。
一言
「忘れなさい」
そう言ってくださった。

私が何度も何度も先生のドアを叩いたのは
先生が諦めずに辛抱強く私を信頼して、愛情を持って
育てようとしてくださっているからだと
その時に改めて気がついた。

だから先生は時々とても熱く語ったり、
私を叱咤してくれるのだ。

私も今は、教える仕事の方がほとんどを占めていて
日常的に生徒さんと接する機会が多くなっているので
先生から学ぶところは大きい。

先生は私の適性を見抜いて、教える仕事を
進めることに背中を押してくれた。
その時の私でさえ意識していなかった
私の中の未開発の部分を先生は私に気づかせてくれた。

私もいつも、先生のように信頼と愛情を持って
人と接することができるようにと思っている。
そして自分が先生として人と接するときは
その生徒さんが「必要としていること」を
きちんと教えることが自分の仕事だと思っている。

その方がまだ気が付いていない、
奥底に眠らせている
素晴らしいものに気がついてもらえるようにと。

それには時に優しく、時に非常に厳しく
そして広い視野を持って
私を見守ってくださった先生の影響が大きい。

先生は整った顔立ちで、ソフトな口調の紳士だ。
きっと若いころは、かなり女性を泣かせたのだろうな~
と容易に推測がつく(笑)
実際そうだったのだと思う。
でも、今やすっかり
年齢がそれほどでもないわりには
好々爺のようなムードで、ご自分でも
「余生を楽しんでいる気がしてる」とおっしゃる。

真偽のほどは定かではないけれど(笑)
趣味の写真を拝見すると、どれもかわいらしくて
それに穏やかで、とてもシンプル。

波乱万丈の人生を乗り越えて、今先生が
ファインダーを通して見える世界が、先生の
内側にも広がっているのだな、と思う。

だけど先生は、いわゆる「男のロマン」的なことが
大好きで、その点ではまだまだ熱があるのが
素敵なところなのではないかと思っている。

時々先生が語る「男のロマン」的なことが
以前の私にはわからなかったけれど
今は「自分にもあるかも?」と思えてしまう。

先生がいつまで生きるのか、私には占えない。
でも「憎まれっ子世に…」で
きっと長生きされるのではと思っている(笑)

でも、先生がぼけてちゃんと話ができなくなるまで
私は付きまとって
本当に先生がしゃべれなくなったら
押し掛けて行って、リーディングしてあげようと思っている。
「先生!これからラブロマンスが来ますよ♪」とか(笑)

それにしても、最初に先生を選んで電話をした
私の直感とセンスはすごいと思う(笑)
でも、そんなことを言えば先生にはたちまち
「調子に乗りなさんな(笑)」
とたしなめられてしまう。

最近はよく
「もうあなたのことは何も心配していない」
と言われてしまうのだけれど
私はまだまだ先生にまとわりついて
ちょこちょこ叱られたいと思っている。

先生には、そう簡単に私の先生という役割を
放棄してもらうわけにはいかない(笑)

でも、実は先生とは直接会ったことがない。

きっとこれからも会うことはないかもしれない。
だけど、この距離がいいと思っていて
もしかしてこれが
先生が言っている「ロマン」なのかな~?なんて。

もしこのブログを読まれていたら
後からどんな感想を言われるのか、
ちょっと怖いような、
ちょっと楽しみなような…。

もしかして、読んでくださっていたとしても
しらっとスルーされてしまうかもしれない。
でも、それはそれでいいと思っている。
私の中には常に先生とのやり取りで感じたものが残っていて
それを自分なりに、自分のフィールドで
発展させて行こうと思っている。
そして、そのことを言葉にしなくても
一番わかっていてくれているのが
先生だと知っているから。
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by lovingangelsnadia | 2010-01-24 11:55 | 天使のメッセージ
今回は、遅ればせながら
1月9日(土)大阪コラボワークショップにご参加
頂いた皆様からお寄せいただいたご感想を
いくつか公開させて頂きます!

お越しいただけなかった皆様、また
お越しいただいた皆様にも
ご感想をお読みいただくことで
当日の様子をお伝えできればと思っております。

ご感想をお寄せくださった皆様、
また掲載を快くお引き受けくださった皆様
心から感謝申し上げます!

そして
関心を持ってくださった方!
ぜひぜひ次回ご参加くださいませませ♪
お待ちしております!


★本当に、会を重ねる度に、
グレードアップしていくので驚いています!!
千鶴さんの守護天使からのメッセージ、
カードリーダーさんのワンカードリーディング、
おまけにエンジェlルミニワークショップ。
なんて贅沢なんでしょう。
待ち時間が、全然苦にならず、あっという間に時間がたちました。

私としては、お客さん参加型のところが気持ちもほぐれて気に入りました。
知らない人ともお話が出来て楽しかったです。



★楽しく素敵な一時をありがとうございました。
前回参加した時よりも内容が充実していてとっても良かったです。
ジャズはもともと素晴らしかったのですが、
初めてみたいけばながとってもパワフルで
生き生きとした自然のエネルギーをたくさんいただきました。
またミニ個人セッションや他の参加者たちとも交流ができ、
とても有意義な時間となりました。
また機会がありましたらぜひ参加させていただきたいと思います。
どうもありがとうございました。



★先日のコラボWS大阪では、楽しい時間をありがとうございました☆
WSのテーマ”エネルギーを上げよう”を知った時に、
私に必要だなと思いました。
今までエネルギーを左右するものなんて、意識していなかったのですが、
お金・人間関係・時間などと聞いて、そうだなって改めて思いました。
一旦停止のワークも早速やりました、忘れる事もありますが・・・(^^;
セルフヒーリングもとても気持ち良かったので、
覚えている範囲ですが自分でやってみました。
直感力アップという事で、感じると言うのも
とても面白かったです。  
あの場所で書いた事がまた良かったようで、
自分の事を知るのにいいワークでした。

また、ジャズの生演奏では、
自分の中心に戻してくれるようなそんな感じでしたし、
いけばなからは、優しい癒しを頂きました。
そして、ギャラリーに展示してある絵画からも、
素敵なエネルギーを頂きました。

最後に、千鶴さんから頂いたメッセージ、とても嬉しいものでした。
まだ今はうまく言えませんが、これからも自分の中を観ていこうと思い、
そんな思いにして頂きありがとうございました。
見て聞いて食べて体験してと、盛り沢山のWSで、楽しかったです♪
楽しく素敵な時間をありがとうございました☆



★会場は少しわかりづらい場所ではあったのですが
入口に人が立っていてくださり、挨拶やお声をかけて頂いたので
あたたかいwelcomeの雰囲気が嬉しかったです。
温かいお茶や飲み物サービスもとても嬉しかったです。
会場に飾られていた絵画も柔らかな透明感があり素敵でした。
カードリーディングは私が一番嬉しい言葉を言ってもらってとても満足です。
カードリーダーさんのパワーを感じました!
チャクラクリアリングの生演奏で、うとうとしてしまい
もったいないことをしたと思いました。
ペアになってするワークも楽しかったです。
ジャズの演奏はもっと聴いてみたいと思うほど
心酔して聴かせて頂きました。
いけばなは斬新な感じがしました。
私の座っている場所からは自分に向かって活けてもらっていると
感じるほどの迫力がありました。
参加させて頂いて本当に良かったです。
会場全体の空気感がとても気持ちが良かったです。
素に近い自分でいてもいい所というのは外ではなかなか
ないように感じています。
次を楽しみにしています。



★先日はとても楽しくて素敵なワークショップを
開催していただいて、ありがとうございました♪
私は音楽もお花も絵もスピリチュアルな事も大好きなので、
大好きづくしの贅沢な一日を過ごすことができ、
ほんとに楽しかったです。

でも一番びっくりしたのは、千鶴さんや他の方に見ていただいた、
リーディングの内容でした。
それが今回皆さんからいただいたメッセージが、
ほんとにまさに「今の私」に必要な内容だったように思うのです。

もしワークショップに参加せず、メッセージももらっていなかったら、
ジタバタしていたと思います。
とにかく思うのは「ほんとにワークショップに参加してよかった!!」です。^^
是非、また素敵なワークショップを大阪で開催してください☆
今回は、本当にありがとうございました。



★”一旦停止のワーク”ぜひ実行したいと思います。
今日は美しい音楽とお花、楽しいワークで大変充実しました!
ありがとうございました!!
次回を楽しみにしています。



ご感想をお寄せいただいた皆様
ご丁寧な、そしてとても心のこもった
素敵な文章をありがとうございました!
ぜひまたお会いしましょう!
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by lovingangelsnadia | 2010-01-19 13:46 | 天使のメッセージ
新年あけましておめでとうございます。

昨年は、たくさんの方々に本当にお世話になり
心から感謝いたします。

本当に、本当に
ありがとうございます!

今年一年が、全ての皆さまにとって
素敵な年になりますよう、心からお祈り申し上げます。

さてさて、皆さまはどんなお正月をお過ごしでしたでしょうか。
私は、なんと数カ月ぶりのお休みだったので
なんだかぐったり?ゴロゴロしておりました。
まるで半分、猫になったようでした(笑)
(↑これはこれでシアワセ~♪)

でも、気持ちはワクワク!って感じで
楽しいお正月でしたよ♪♪♪

今年は、9日(土)の大阪ワークショップを皮切りに
2月までほぼ毎週、様々なワークショップを開催いたします。
そして、その他にも新しい企画をご用意しております。

こちらのブログでも
少しずつご紹介させて頂きたいと思っておりますので
ぜひお楽しみになさってください!

今年もたくさんの方々に
どこかでお会いできますのを心より楽しみにしております。
そして素晴らしい時間をご一緒しましょう♪

たくさんの愛と感謝をこめて053.gif

千鶴
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by lovingangelsnadia | 2010-01-04 17:35 | 天使のメッセージ

”情熱”って…。

今日の鎌倉はお天気は良いのですが
とても寒くて、観光客の方も少なめでした。
全国的にもとても寒い一日でしたね。

私は今年の11月から来年にかけて
様々なタイプのワークショップを開催するに当たって、
鎌倉での新しい会場の下見に行ってきました。

そして、今後仲良くお付き合いさせて頂けたら良いな♪
と思える場所が、由比ヶ浜の近くに見つかりました。
そこは築70年の古い日本家屋なんですよ。

オーナーご夫妻に中を案内して頂くと
室内の懐かしく落ち着いた雰囲気に癒されて
私にはたくさんアイディアが浮かんできました。

「ここで、こんなことできたらいいな♪
あんなことできたらいいな♪
こ~~~んなこともできたりして!!!」

ワクワクしながら打ち合わせを終えて、
そちらを後にしました。
そして、具体的な事にいろいろと思いを巡らせながら
所用を済ませていると、今度は全く違う考えが
私の中に生れてきました。

「さっきはあんな風に思ったけれど
もしかして、そんなこと実現できないかもしれない。
実現できたとしても、そんなこと意味ないことなのかも。
誰も賛同してくれないかも…」

論理的で理性的で現実的なお利口さんの私が
頭の中でしゃべり出しました。
それと同時に私の中で不安がむくむく~っと
すごいスピードで成長し始めます。
むむむ…。
そして、なんとなく足は海岸の方へ向かいました。
今日はかなり寒いですが、潮風に吹かれたら
すっきりするかもしれません。
それにキラキラ光る水面を眺めながら、ただ歩くだけでも
いつも私の気持ちは落ち着いてくるのです。

ゆっくりと砂を踏みしめて、人があまりいない
季節外れの海岸を歩きます。
大通りに近い方の浅瀬では、サーフィンをする人もいます。
犬の散歩をする人や、観光客が記念写真を撮っている
普段の海岸の情景です。

頭の中を整理しようと思いました。
そもそも、素敵な場所を見つけることができて、
その場所自体は気に入り、だからこそ
新しいアイディアやビジョンが沸き起こって来たのに
どうして私は「無理かも」と思ってしまったのでしょう。
それも、坂を転げ落ちるかのごとく
「ワクワク」から「モヤモヤ」まで急に変化してしまいました。

「なんでだろう???」

そして、ふと海の方を見ると
一人の男性の泳ぐ姿が目に入りました。
でも、ちょっと変わっているのです。
この時期、海に入る人は、サーフィンする人くらいなので
必ず全身を黒いウェットスーツに包んでいます。
しかし、私の目に入ったその男性は
明らかにTシャツと、黒い短パンのようなものを
身につけているだけなのです。

初めは
「もしかして入水自殺???」と思いました。
この真冬の海に真夏と同じ格好で入るなんて
何か特別な理由でもあるに違いないとすぐに思ったのです。

でも、岸に向かって波に乗り、のんびり泳ぐその姿からは
緊迫感は感じられず、そこだけ切り取ってみたら
まるで季節を勘違いしてしまいそうです。

彼は岸に着くと、這って海から上がろうとしていました。
海藻がまとわりつくので、立てないから這っているのだと
思ったのですが、それにしても全然立とうとしません。

もしかして足が冷えてしまって、うまく立てないのかな。
それとも、腰が抜けちゃったとか???

すっかり自分の頭の中を占めていた
「私のアイディアなんてダメかも…」は
どこかに飛んで行ってしまい
目の前のその男性の動向に釘付けになってしまいました。

彼の全身が海の中から出てきました。
もう波もかからないし、海藻もあるはずもないのに
彼はまだ這っています。
よく見ると、その体の左足のひざから下はありませんでした。
片方の足の膝から下がないので、歩けず這っていたのです。

ゆっくりと砂浜を這って行くその先には
キャンプ用のいすに、ちゃんと着替えや義足が置いてありました。
彼は自分のペースで着替えを始めました。

その様子をじっと見ていて、
なんだか私は勇気が出てきました。
とても清々しい気分になったのです。
いつも海に来ると気持ち良いけれど、
彼の姿を見ていて、さらに力が湧いてきたようでした。

私は彼のそばを通り抜け、さらに浜辺を歩きました。
急に笑いたくなるような、そして体が軽くなったような
生まれ変わったような気持ちです。

青い空、そして眩しい太陽。
すごいな、気持ち良いな、
ただそんな風に思いました。

そして、さっきまで頭の中で
騒々しく動き回っていた考えは
すっかりどこかへ行ってしまいました。

でも、
「あの人は、なぜあんなことをするのかな」
そう考えて、そのことが分かった瞬間
急に泣けてきました。

涙が次から次へと流れてきました。

「なぜ、あんなことをするのか」
それが急にわかったからです。
そうしたら、今度私は、由比ヶ浜で
人目もはばからず泣き出してしまったのです。

「情熱」
その言葉が浮かんで来ました。

人を真冬の海で泳がせてしまうもの、
人を突き動かすもの、
理屈では測れないもの。

どんな理由があるにせよ
体が不自由な彼を冷たい真冬の海で
何かが突き動かして、泳がせているのです。

もしかして、リハビリなのかもしれないし
精神の鍛錬かもしれないし、
ひょっとすると自分を断罪している行為なのかもしれません。
私にはそれを推し量ることはできないけれど
私に伝わってきて、涙させ、力を与えてくれたのは
その彼からある種の強い思いが伝わって来たからです。

でも、その「情熱」ってなんてややこしいものなのでしょう。
真冬の海で、しかも軽装のまま泳ぐなんて
多くの人から見たら正気の沙汰とは思われません。

それに、彼の這って行く姿や、白人男性らしい
肥った重たそうな体や、そこにまとわりつく濡れた衣類は
どう見てもカッコよくはありません。

何の理由が彼を動かしているかはわかりませんが
冷やかな目線を送る人もいましたし、
スマートな感じには見えません。

でも、
私は彼をとても美しいと思いました。
本当に人間らしいと思いました。
それが私の中心を震えさせたのです。
だから私は涙を止めることはできませんでした。

人が何かに「情熱」を持った時、
それは人生に潤いや喜びを与えてくれますが
同時に「情熱」とは、まるで冷たい冬の海に飛び込むような
理性では考えられないようなこともさせてしまうのです。

そして場合によっては、その海で
溺れてしまうかもしれません。
常に理性とは逆を要求してきたり、人からは理解されない
ことを続けることを選択しなければならないかもしれません。

「情熱」を持つがゆえに、そのことで
人は大いに喜び、反対に大いに悲しみ、孤立し、苦しむのです。
時には命さえも捧げなければならないかもしれないほど
「情熱」は多くのものを私たちに要求してきます。

「情熱」との関係はとても難しいです。
スマートにカッコよく付き合うなんてことは
できないのかもしれません。

だけど、人を中心から感動させ、震えさせてくれるのは
そんな「情熱」を持った不器用な人の姿です。
私は自分がそういう人に愛を感じるのだということに
気がつきました。
そして、自分自身をその姿に投影していることにも
気がつきました。
同じものを持っているから、共感して涙することができるのです。

また、泳ぐ人を目撃するまでの私の心を落ち込ませたり、
あるいはワクワクで一杯にしていたものたちに対して
私は「情熱」を傾けているからこそ
いろいろな感情を刺激されていたのだとわかったのです。

私がモヤモヤし始めたのは
理性が「そんなこと理由がない、前例がない」と
まるで役人のような杓子定規なこと言いだして
私の情熱という、非論理的で理性では整理しがたい部分を
消そうとしていたからなのです。

私はあやうく、自分の中の「情熱」にふたをしてしまうところでした。

私のしようとしていることも
真冬の海に飛び込むような、砂浜を這うようなことなのかもしれません。
でも私の中心に沸き起こってきたものを
私自身が消してしまってはいけません。

人を突き動かすものは、決して理性では説明できないもので
時には危険で、さらにスマートには行えないことなのかもしれません。

でも、私が泳ぐ人を見て感じたものは確かです。
心が震えて、私は私の中心にあるものに触れました。

私は人間です。
だから、肉体があります、精神もあります、見えないものも
身にまとっています。

だからもし私がこれからも
自分の中にある情熱に従うのであれば
私は、やっぱり海で溺れてはいけないと思いました。
少なくとも、溺れないように気をつけて泳ぐべきなのでは
そう思いました。

あまりの寒さに風邪を引いたりしたとしても、
溺れてしまっては、自分の中に芽生えたものに対して
結局は忠実だと言えないのではないかと思ったのです。
私は生きているのだから、肉体があるのだから
それも大切な一部なのだから…。

溺れないのは、とても難しいことだとわかっていても、
やっぱりそうしたいのです。

心から何かに打ち込んでいる人は本当に美しい、
改めてそう思います。

ただ、その美しさは「見る人」の中にあるものであって
決してその人自体の容姿や状態から発せられるものでは
ないのでしょう。

私が私自身の中に、小さくても「情熱」の種を持ち続けていれば
きっと、それがいつか花開いてくれる、そう信じていますし
それに栄養を与えてくれるのは、自分自身の求める気持ちだったり
ひたむきに生きている誰かの姿なのだと思います。
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by lovingangelsnadia | 2009-12-18 19:19 | 天使のメッセージ

夢は良いコーチ

このブログでも何度もお勧めしている
「夢のリーディング」

私自身も見た夢をできるだけ記録しリーディングしようと
思っておりまして、また取ってあるものは
時間があるときに読み返したりしています。
その度ごとに、さらにいろいろな気づきがあり
夢の教えてくれる世界の奥深さに感嘆します。

そして夢のリーディングを的確にするために、
いくつか必ず書きとめている点があります。
夢を見たときに大切なのは
その時に感じた「フィーリング」です。
ですから、必ず「感じた」ことを書きとめます。

例えば
「ぼんやりしていた、明るくて清々しい感じがした、
緊張感があった、すっきりした、モヤモヤとした…」など
夢を見ながら「感じていた」雰囲気や気分などは
その夢の全体のイメージをきちんととらえるための
大きなヒントをくれます。

例えば、その夢の中の出来事自体は悲惨なことだったとしても
そこに登場する自分の気持ちが穏やかだったり、落ち着いていたら
それはその「気分」から読み取っていくので
必ずしも出来事の状態とイコールとは言えず
「フィーリング」が重要視されるのです。

そして、後は具体的に出てきた、物、場所、人物を記録します。
これらはシンボルとして大切な意味を持ちます。
そして、それらの意味は、このブログのライフログにも
掲載させて頂いている「夢辞典」などを参照されると良いでしょう。

準備ができたら、後はリーディングです。

ここでまた大切なことは
「リーディングは自分でする」ということです。

さきほど
「その時のフィーリングが大切」と書きましたが
このことは、その部分にもつながっています。

物、場所、人物などのシンボルは、シンボルとして重要な
意味を持っていますが、
「フィーリング」次第で
表す意味が大きく変わることもあるのです。

そしてその「フィーリング」は
夢を見た自分自身にしかわからないものですし
それを個々のシンボルと繋げてリーディングすることは
深い洞察力と、豊かな感性が必要とされるので
他の人に任せるよりも、自分自身で行うことで
より自分自身を知る手掛かりになります。

私自身が多くの方に夢のリーディングをお勧めするのは
「自分で自分自身をより知ることができる」
からです。
それも、自分がほぼ毎日のように見ている
夢をてがかりとするならば、毎日続けることも可能からです。

何かの才能や能力を伸ばしたり、また心身の安定を
図りたいと思ったら
何でも良いので、何か一つのことを毎日必ず
続けることが大切だと思います。

何か一つのことを毎日続けることにより
あらゆる状況に対応できるようになる、内側からの安定が
得られますし、自分の状態がよくわかると思います。

もしうまくリーディングができなかったりしても大丈夫。
そのままの気持ちを書き記すだけでもOKですし
後からピンとくるかもしれません。

また忘れてしまった夢があっても大丈夫です。
夢は繰り返し繰り返し、その人が上手に受け取れるまで
手を変え品を変えメッセージを送ってくれます。

そして、参考にしている本に載っていないシンボルがあっても
それらは、慣れてくれば自分自身で意味がわかったり
するようにもなります。

私が自分のリーディングで意味がよくわからなかった時
「ドリームブック」の作者である
ベティさん(故人)に質問したことがありました。

すると彼女は私の前に現れて
「あなたのハートに聞きなさい」とアドバイスしてくれました。
そしてそれからの私は
迷ったら無理をせず、自分の感覚やハートに従うことにして
今も楽しく夢を思い出しています。

皆さんもぜひ、やってみてくださいね!

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by lovingangelsnadia | 2009-12-16 17:59 | 天使のメッセージ

やがて愛にかわるもの

音楽を聴いていると、一つ一つの音に
色を感じることがあります。
特に生での演奏を聴いていると、そうです。

とても素敵なコンサートに行ってきました。
その時、二つの種類の音楽に触れ、また
二つの種類の「色」を私は感じました。

ある曲は、重厚で決して明るくはないものでした。
人間の闇や、あるいは人生の苦しみなどを
表現したように感じられました。

じっと聴き入っていると
色がどんどん見えてきます。
目を閉じても、開いていても
私の心の中に、その様々な色が浮かんできます。

「悲しみ」
あるフレーズからは、悲しみを感じました。
まるで誰かが、どうにもならない悲しみを抱えて
泣くこともできずに立ちすくんでいるような…。
絶望に近いものです。

そしてその時の色は
淀んだ青でした。
透き通った湖や晴れた空の色とは全く
正反対の淀んだ青です。
深く沈んだ悲しみの青です。

「怒り」
あるフレーズからは、怒りを感じました。
それはとても激しく、強く、全てを破壊してしまうような
爆発的な怒りです。

そして、怒りの色は
くすんだ赤です。
熟れたリンゴや、サンタクロースの帽子のような
活き活きとしたものではなくて
くすんだ赤です。

その両方が交互に、時には重なり合って
曲がどんどん進んでいきます。
そして観客も引き込まれていきます。

ふと私は私のことを考えてみました。
そして、その二つとも、私の中にはある、と思いました。

普段の私はあまり感情の起伏にのまれることは
ないようになったのですが、
人間として生きている限り、感情からは離れることは
できませんし、離れてしまうことは良くないことです。

そして、その感情の揺れは、誰にでもあるものなのです。
外に出すか出さないかは別として。

この「赤」と「青」は感情の揺れのちょうど
対局をなすものの象徴なのではないかと思いました。

「青、悲しみ」が揺れの少ない方だとすると
「赤、怒り」は揺れの激しい方、と言う風に簡単に区別してみます。

でも、それはただ、同じ振り子の揺れ方の方向にすぎなくて
振り子自体はたった一つしかありません。
元は一つ、ということです。

「そうか、どちらも私の中にある、私のもの、なんだ」
そう私が理解した時
二つの色が重なりました。
赤と青が溶け合い始めたのです。
そして
「ああ、そうだったのか」
そう思った時、まるで光が当たったかのようになり
二つの色にそれぞれあった本来の素晴らしい色を覆い隠すような
くすみのようなものは消えました。

そして、その演奏は美しい「紫」色となって
私の中に入って来ました。

紫とは、チャクラの中でも神聖な存在とのつながりを司る
クラウンチャクラの色と同じです。
神聖なものとは、現実からかけ離れたり
人々の感情から逸脱したものではなくて
全てを内包しているもの、全てを知っているものなのだ、
そう感じました。

「悲しみ」も「怒り」もできれば避けたい感情であるのも
確かなわけですが、なくしてしまうことはできないし
そんな風に生きていくことを目指さなくてもいい。
ただ、一緒にいる、共存する、受け入れる
それができれば、その「理解」が光となって
その人間らしい活き活きとした感情を
素晴らしいものに変えてくれるのではないでしょうか。

そして、もうひとつの演奏を聴いていたら
ただただそこからは「緑」を感じました。

優しく包み込むような緑は癒しの色です。
演奏する人が違えば、そして曲が違っても
全く違った色を感じることができます。

緑は私を内側から満たしてくれて
そしてエネルギーと癒しを分け与えてくれました。

そのことを感じることができるのは
本当に幸せなことだと思います。

私たちが感情を飼うのが難しい”暴れ馬”のような
ものだと思っているうちは、豊かな感情を指針にした
人間らしい素晴らしい人生を享受することはできません。

「理解」は闇に光を当ててくれます。

怒りも悲しみも、「理解」することで
それはやがて「愛」に変わります。
全てが私たちの中にあるものだからです。

全ては「愛」に変えることができる、
「愛」は全てを包み込んでしまうものだからです。

やがては愛にかわるもの。

美、とは反対にあるものでさえも
美しいものにかえてしまうことができる力。

それは真実であり、純粋さであり、清らかさであり
私たちの中に確実に存在している力だと思うのです。





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by lovingangelsnadia | 2009-11-28 10:24 | 天使のメッセージ

私の中の”エドワード”

今回は映画の話です。
ネタばれが含まれていますので、ご注意を!

「シザーハンズ」という、映画を見ました。
見たのは二度目で、最初は公開当時でした。
でももう20年も前の作品なんですね!
びっくりしてしまいました。

なぜまた見ることになったかと言いますと
娘に「一緒に見て~」と頼まれたのです。
大学の授業で見せられたのだけど、途中で時間が来てしまい
「あとは自分で見て」と言われたのだそうです。

でも私は最初あまり気が進みませんでした。
なぜなら、ご覧になった方ならお分かりだと思いますが
この映画すごく切ない話なんです…。
でも、まあせっかくだから、と一緒に見ることにしました。
そして、これがとても興味深いものだったのです。

主人公はエドワード。
まだ20代の若いジョニー・デップが演じています。
このエドワードは町の外れの山の上に建つ奇怪な城に住む、
年老いた科学者が作った人造人間なのです。
髪はツンツンで、服もボンテージのような黒の革製、そして
両手はたくさんのはさみでできています。
だから「シザー(はさみ)ハンズ」
顔色も非常に悪くて、表情はほとんどありません。
歩き方もとっても変。
つまりとても不気味、というか奇抜な容姿なのです。

エドワードのお父さんとも言うべき科学者は、両手を
つけようとした直前に急死してしまい
それ以来お城で一人暮らしをしていました。
だから城から外に出たことも、科学者以外の人間に会ったことも
ありませんでした。

でも、ある日ふとしたきっかけで、
城のふもとの町に住む化粧品のセールスレディ、ペグの家に
家族として迎えられ、新しい生活が始まります。
強引に連れて行かれる、という方がぴったりかもしれません。
善良なこの女性はエドワードを「かわいそう」と思ったのです。

そこで、彼は恋をします。
美しい、その家の娘キムです。
一目惚れでした。

でも、キムには
かなり自己中心的で、押しが強く腕力のある
ボーイフレンドがいました。
ティーンエイジャーの彼女はこの関係を楽しんでいました。
そして突然母親が連れてきたエドワードとは
少し距離を置いて付き合っています。

キムは優しくてピュアなエドワードに
次第に心惹かれていくのですが
自分が風変わりな彼を好きになってしまったことを
なかなか受け入れることができません。
そしてこの同居人のエドワードをキムのボーイフレンドは
忌み嫌い、いつも馬鹿にしています。

彼らが住む町は、同じような家が変化もなく並んでいます。
生活のパターンも同じで、それは個性をなくし画一化された
町並みと同じようです。

そのうちの一軒に住むペグが連れてきたエドワードは
始めは町の人々の好奇心の対象になります。
刺激のない毎日を送る人々は彼のことを知りたがります。

何気なくエドワードが庭の植木の剪定をしたところ
それがたちまち芸術作品になったことで彼は皆に認められます。
ただの植木が犬のかたちになったり、スワンとハートになったり
これが評判になり、町の家々全てからお声がかかり
彼が次々見事なはさみさばきで、どこを見ても同じだった
植木を芸術に変えていきます。

エドワードは、このはさみ(手)を使って、犬のグルーミングも
女性のヘアカットも上手にこなし、
同じような髪型だった、この町の女性たちはどんどん洗練されて
変身していきます。

そして評判は広く外の町にも伝わるようになり
エドワードはとうとうテレビ出演まで果たします。
一躍人気者です。

でも、そんなある日、
キムのボーイフレンドのある悪い企みに加担してしまった
キムとエドワードは、事件に巻き込まれ
結果的にエドワードが全ての罪を背負い、とうとう
警察に連行されることになってしまいます。

それをきっかけにして、人々はエドワードを排除し始めます。
エドワードは人々の好奇心の対象から、憎悪の対象へと
変わっていくのです。
でも真実を知っているキムも、エドワードの責任ではないと
人々に知らせる勇気はありませんでした。
自分に矛先が向くことや、
ボーイフレンドからの仕返しが怖かったのです。
次々不幸な出来事が続き、エドワードは追いつめられます。
そんな中でもキムは、彼女を思い、かばうエドワードに
どんどん惹かれていくのでした。

手が鋭利なはさみでできたエドワードは誰かに近づこうとすると
ちょっとしたことでも相手に傷をつけてしまうことがあります。
エドワード自身も、顔にしょっちゅう傷をつけています。
近づけば近づくほど傷つけてしまう。

ようやく気持ちが通じ合ったキムを抱きしめようとしても
「できない」と言います。
でもキムがそっと彼の手を取り、自分から彼に飛び込んで行き、
ふたりは傷つけることなくしっかり抱きしめ合います。

でも、町の人は彼を許しません。
日を追うにつれ、彼らの怒りはヒートアップします。
異端な存在への恐怖心がそれを煽っているのです。
事実無根の誹謗中傷が飛び交い、
エドワードはどんどん追いつめられます。
何をやっても悪い方向へ行ってしまいます。
人々の非難の対象となった彼には
もはやこの町に居場所はありません。

エドワードはやっとの思いで城へと逃げ帰ります。
でも、町の人は追跡の手をゆるめません。
警察が逮捕しないなら、自分たちが追い詰める、と
皆で大挙して城に押し掛けるのです。

中でも、キムにふられた元ボーイフレンドは
どうしてもエドワードが許せません。
「あんな化け物に負けるなんて!」
そう地団駄を踏み勘違いな復讐をしようとします。
そしてエドワードを殺そうとして
町の人々より一足先に城に入っていきます。
でも、そこにはエドワードに愛を告げに来たキムがいました。
そのことがますます元ボーイフレンドの怒りに火をつけます。

彼の怒りはキムにまで向かって行ったため、
エドワードはこの元ボーイフレンドを殺してしまうのです。
そしてキムはエドワードを守るために、彼も一緒に死んだ、
と押し掛けた町の人々に嘘をつき、そのまま城を去ります。
その後、ふたりが会うことは二度とありませんでした。

なぜ町の人々はエドワードを排除しようとしたのでしょうか。
それは奇抜なもの、変ったものを受け入れることが難しいから?
得体の知れないものに対する恐怖でしょうか。

私はこの映画を見ていて
エドワードとは、人間の中のダークサイドのシンボルなのかな
と思いました。

もし、この町全体を一人の人間の内面だと仮定したらどうでしょうか。
そしてエドワードの奇抜さ、不気味さが人間の誰もが持つ
得体の知れない暗黒の部分だとしたら?

人間にはネガティブな部分も、ポジティブな部分も
いろいろな面があります。
ちょうど、この主人公たちが住む町のように、
きれいで快適で清潔な家々があり、
また一方で、エドワードの住むおどろおどろしい
一体その中がどうなっているのかわからないような城もある。
それぞれは相反するものだけれど、それが混然一体となって
実はひとつの町の景観を作っています。

エドワードが人間の様々なダークサイドの象徴だとしたら
最初は誰でも自分のそんな部分を
ちょっと好奇心で見てみたくなります。
自分の中のネガティブだったり、
暗い部分、知らない部分に興味がない人はいないでしょう。
だけど、そこは近づくと傷つくかもしれないのです。
誰だって自分の中の暗い部分は、できれば見たくない。
知らない、というだけでリスクが大きいと感じます。
そして、そんな部分を好きか嫌いかと聞かれれば
「嫌い」と答える人が多いはずです。

そして、何か都合の悪いことが起こると、それをきっかけに
今度はそれを「悪」だとして排除しようとするのです。
そして、また町の隅のお城に閉じ込めてしまうのです。
まるでなかったことのように。
臭いものにふたをするかのように。

でも、エドワードが町に現れることで
町は確かに変わりました。
変化がありました。
同じ家、同じヘアースタイル、同じ犬、同じ生活。
それに変化が訪れたのです。

でも大きな変化を人々は好みません。
そして都合が悪いものは見たくありません。
エドワードが自分たちに利益をもたらし、
生活に刺激を与えてくれるうちは優遇しました。
その程度なら、彼を認めてやろう、ということです。
そこにいてもいいよ、そのくらいおとなしくしているなら…。

でもひとたび、彼が何かを傷つけてしまったなら
それは決して許されません。
たとえ、その傷がすぐに治ってしまうような小さな切り傷だとしても
人々は「傷ついた!」と大声を上げ、エドワードが「悪」だと責めます。
そして、目の前から消えろと追いつめるのです。

でも、エドワードがキムの元ボーイフレンドに致命傷を与えたのは
その元ボーイフレンドがエドワードを殺そうとしたからです。
そうしなければ、エドワードは近寄ることで多少の傷をつけたとしても
決して命までは奪おうとはしません。

そしてエドワードが時々城からおりてきても、
私たちがエドワードの存在を認めていて、
力で彼を排除しようとしなければ
町並みに変化が訪れ日々の生活の色合いが変わる等によって
そこに少なくとも「ある個性」が出現するだけのことなのです。
そして個性は「悪」でも「善」でもありません。

さらに、画一化された町並みに、奥行きを与えているのが
町の隅にある、エドワードの城であるのも確かです。
それはちょっと恐怖を与える景観かもしれません。
でも、このことで町が様々な表情を持つことができるのです。

それに、エドワード自体はとてもピュアでおとなしい存在です。
そのことに本当に気がついたのは、彼を受け入れたキムでした。

私たち人間も、これと同じなのかな、と思いました。
いろいろな面があるからおもしろい、それが個性。
誰一人として同じ人間はいない。
いろいろな面によって唯一無二の景色を創ることができるのかなと。
つまり町全体が、全体としての自分なのですね。

私の中のエドワードは、しょっちゅう私の住む場所に来ます。
そしていろいろとやってくれます(笑)
でも、私は、このエドワードも、エドワードの住むお城も
私を構成している一部だと認めようと決めています。
だから私はエドワードが現れても、無視しません。
でも取り立てて彼を重用することもありません。
ただ、エドワードが「いる」姿を見つめています。
そうすると、エドワードはエドワードらしさを発揮した後
自分で城に帰っていきます。

彼が去って行った後を見てみると、自分の中のエドワードが
どんな特徴があるのか、とてもよくわかります。
それを見て落ち込む時もありますし
へえ~~とかなり冷静に眺めることもあります。

エドワードは私のすべてではありませんが
一部であることは確実なのです。
だからできるだけうまく付き合いたいと思っています。
つまりエドワードは私なのです。

だから私は最近、自分の中のエドワードを抱きしめようと思っています。
確かに「嫌だな」と思ったりもするし、抱きしめるには
ちょっとした工夫も多少の勇気も要ります。

だいたい私の中のエドワードはジョニー・デップのように
ハンサムではないでしょうし…(笑)

でも時々は抱きしめることができるようになりました。
けがをしてしまうかもしれないけど
そっと近づけば大丈夫。
はさみがあったって、刃の部分をうまく避ければ彼自身は何もしません。
確かに傷ついたら血は流れるけれど、その傷は必ず癒えます。

この映画の原案を作ったティム・バートンが
私の感じたように意図したかどうかわかりません。
でも、もし同じだとしたら、ティム・バートンは自分のダークサイドと
どうやったら付き合えるか、彼らをどうやったら
自分の中で良い形でいかせていけるかを、
ずっと考えているのではないかと思いました。
ティム・バートンはつまり、映画製作を通じて
自分を愛そうとしている人なのかもしれません。

そして、城に逃げ帰ったエドワードを心配して追いかけて
守ろうとしたキム。
驚いたエドワードに「愛してる」と告白した時の彼女が、
一番たくましく美しく見えました。
キムはエドワードを愛していることを認めることによって
きっとバラバラになっていた自分を一つにまとめることが
できたのだと思います。
だから、愛する人を守る力が生まれたのでしょうね。
人は分裂してしまった自分を調和できたときに
初めて人を助けることができる力を得るのですね。

だから私は、多くの人がこの映画を見て感じる「切なさ」は
自分が大切な自分自身のある部分を否定してしまう
「悲しさ」「切なさ」に繋がってもいるのかしら?と思ったのでした。

それにしても、ひとつ疑問が。
ピノキオもそうですけど、そしてフランケンシュタインもそうですが
どうして男性の作る人造人間って、男性ばかりなんでしょうか?
どうして男性科学者は、女性を作らないのでしょう?

文化人類学でも、古典でも、心理学でも何でもいいので
どなたか頭の良い方でご存知の方がいらしたら
教えてくださいね。

でもまあ、映画は普通に楽しく見るのが一番ですよね!
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by lovingangelsnadia | 2009-11-03 19:55 | 天使のメッセージ