ドリーン・バーチュー博士公認エンジェルセラピープラクティショナー(R)の千鶴が、天使からのメッセージをお届けします。エンジェルリーディングのセッション等については、私のHPをご覧ください♪


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カテゴリ:日常のひとこま( 36 )

walking is fun!

散歩の心得。

目的を決めない。
急がない。
ゆっくり楽しむ。

今の季節なら、歩いていて暑くなることもあるので
体温調整がしやすいように
羽織ものを持ったり、重ね着を上手にします。

夕方になると気温が下がるし、歩いて汗をかいて
体が冷えてしまったら大変ですから、
ちょっと一枚多めに持ちます。

そして靴下は厚めのものを。
靴底も同じようにしっかりしたものだと疲れません。

準備万端!
でも一番大切なのは、歩くことを楽しむこと。

急がず、ゆっくりと
景色や町の音、匂いを楽しみます。
車や自転車では味わえないものを感じるために。

先日、私は上野公園や上野界隈を散歩してきました。
晩秋の上野公園は、大好きな場所で
必ずこの時期には訪れます。

学生時代に、よくサボってプラプラしていました(笑)
だから、とても懐かしくて!
あまりあの頃と景色が変わらないのが
上野公園の良いところです。

まず最初に国立西洋美術館へ行きます。
何が開催されていようと、ここへは必ず入ります。
全体的な雰囲気が好きなのです。

この日はドイツの作家の版画とエッチング展が
開催されていました。
絵画をじっくりと楽しんだ後は、公園内をプラプラ。

動物園の前には小さな子供を連れた家族がいて
とっても和やかな雰囲気です。
大道芸を披露している人の前には
ちょっとした人だかりができています。
桜の季節には人出でごった返す桜の並木道も
今はのんびり歩く人が通り過ぎるだけです。

そして御徒町方面、アメ横へ。
それにしてもすごい人、人、人!
子供の頃は年末に親に連れられてよく来ましたが
こんなに狭い通りだったかな~と思いました。

よく考えたらアメ横は数十年ぶりかもしれません。
でも、その活気や雰囲気は変わらない気がしました。
魚屋のおっちゃんのだみ声で
「安いよ~安いよ~」と言うのを聞くと
やっぱアメ横だわ!と思います。

最近は韓国料理や中国料理の屋台のようなものもあり
ますます「アジア」という感じですね。
アジアって、この雑多なパワーが特徴ですね。

そして翌日は地元、鎌倉をプラプラ。
もちろん目的は決めてはいけませんよ(笑)

でも、家路に着く頃の私の手には
必ずいくつかの手提げ袋が…(笑)
「戦利品」と言ったら大げさですが
やっぱりプラプラしていると、ついつい
面白いもの、美味しそうなものを発見してしまい…。
勢い私は目的がなかったはずなのに
目的があったっぽい格好で帰宅することになるのです。

鎌倉も今の時期は観光シーズンです。
でも、ちょっとだけ皆と外れたところを歩いてください。

小町通りではなくて、段葛らを、ぜひ。
抜けるような秋の高い空の下には
八幡宮まで、まっすぐに桜の並木が続いています。

まだつぼみさえ見えないけれど、その中では
来年の春に私たちを楽しませてくれる
美しく可憐な花が咲く準備をしているんですね。
なんだか、とっても愛おしいです。

そして鎌倉の良いところ。
それはこののんびりとした空気です。

時折、海の匂いのする風や
山の緑、そして何よりもキラキラとした空気が
リラックスさせてくれます。

歩いていると、時々知ってる人に出会ったりして
短い会話をすることも
私には楽しいことです。

一歩一歩を確かめるように
空気そのものを味わうように
のんびり歩いてみましょう。

人生もこんな風に、散歩をするみたいに
一つ一つ、何気ないことも楽しめたらいいな~♪
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by lovingangelsnadia | 2010-11-05 12:42 | 日常のひとこま

夏の終わり

夏の終わり、私は大好きな九州を旅して来ました。
とっても楽しくて素敵な思い出が一杯の
素晴らしい旅でした!!!

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船に乗ってぼんやりと、空、山、海を眺めていたら
「私たち人間は生まれながらにして全てを持っているんだ。
でもそのことを忘れてしまっているんだ」
そう思いました。

何気ないことや少しの幸せに心から感謝して
楽しめて喜べる毎日でありたいと思います。

皆さんにも素敵な夏の日の思い出がありますように…!!!

Love
Chizuru
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by lovingangelsnadia | 2010-09-02 20:42 | 日常のひとこま

好きなことをする

鎌倉はすっかり秋も深まり寒くなりました。
今は観光シーズンで、お天気の日はあちこち賑わっています。
皆さまがお住まいの地域ではいかがでしょうか。
どうぞお体を冷やさず、健やかにお過ごしくださいね!

さてさて。
私はここ数日、急にスケジュールの変更があり、
おかげさまで、少しまとまったお休みが取れました。
そこで、いつにも増して、たくさん本を読んだり
じっくりいろいろと取り組んでみました。

まず、500ページ程度の本を三冊を読み、
そしてあるビジネスセミナーのDVDを合計8時間位見て、
後はパソコンに向かって資料作りをしておりました。

さすがに今日は目が疲れてしまって、一日中目薬と仲良しで
なかなか目を使う作業が進まないのですが…。

でも、どれも好きなこと、やりたいことなので
楽しくて楽しくて仕方がなく、いつの間にか時間が経っている…。
そんな幸せでラブリーな数日でした♪

そこで今後のアイディアもたくさん湧いてきて
そのうちのいくつかは、すぐに形にできそうです。

好きなことをしている時は、時間が経つのがアッという間で
「やめろ」と言われても、やめられない、止まらない…ですよね!
まして今の時期は、暑くもなく、それほど寒くもないので
じっくりと何かに取り組むには良い季節かもしれません。

では、皆さんには、「人から何と言われようともやりたいこと」
「それをしていると時間が経つのを忘れてしまうこと」
そんなことはいくつありますか?

もしも、それが一つでも思い浮かべることができるなら
あなたはとても自分らしい幸せな人生を送っているか、もしくは
自分らしい幸せな人生を送ることができるスタートラインに立っている
と言えると思います。

でも、もしも、何も思い浮かべることができない、
という状態なら、すぐに一つでいいから探した方がいいかもしれません。
なぜなら、このことが私たちが自分らしく生きるために
どうしたいか、何が大切かということに直結しているからなのです。

先日、あるテレビ番組を拝見しました。
ボクシング・ジムを運営している父親と、そのお子さん方の話です。
何でもそのお子さん方は女の子なのですが、子供のボクシングで
世界チャンピオンを狙えるくらいの実力の持ち主なんだそうです。

お父さんも必死に、かなりの気合を込めてお嬢さん方を指導しています。
もちろんご自分もかつては優秀な選手だったのだと思います。
そして、それに応えるように、どんどん彼女たちも結果を残していきます。
やはり血筋なのか、才能があるのでしょうね。

でも、実はそのお嬢さんのうちで中学生の長女は、
お父さんに内緒でこっそり学校で、ある部活に入っていました。
それはテニス部なのですが、テニスをやっている時
彼女は本当に楽しそうで、生き生きしていました。
とてもかわいく元気な様子で、
リラックスした自然な笑顔だったのが印象的でした。

この部活に入ることは、お父さんには反対されていたのですが
それでも秘密にしながら続けていたそうです。
でも、結局はバレてしまい、試合が終わるまでは休むようにと
言われて、言うことを聞いていました。
とめられることはわかっていたそうなのですが
どうしてもテニスをやめることはできなかったそうなのです。

お父さん曰く
「子供を甘やかしたら、今までやってきたことが無駄になる。
それでは子供のためにならない」ということで
ボクシングを続けるために、テニスをすることには反対する
というお考えのようでした。
でも、「親の心子知らず」の逆でしょうか、このお嬢さんは
「お父さんを喜ばせるために頑張る」と言って
ボクシングの練習に戻って行きました。
そして、その試合が終わったら、
またテニスをしても良いという許可をもらっていました。

お父さんは、どこか体の具合が悪いのか、ボクシングの練習中以外でも
笑顔は見せず、いつもとても苦しそうに私には見えました。
もちろんボクシング自体がとてもストイックな競技ですから
そういう状態は一般的にみて不思議はないのかもしれません。
お嬢さんはかなり熱心にボクシングの練習に打ち込んでいました。
とても意味を感じて取り組んでいることは良く伝わってきました。
ただ少なくともテニス部で見せたような、生き生きとした表情はありませんでした。

何かをやっている時、顔つきなどからだけではなく
「楽しい」とか「喜び」のエネルギーを放っているかどうかは
とても重要だと思います。
それは逆に「嫌だな」「やりたくないな」も同じで
それらを隠すことはできません。
「言葉」や「行動」の内容がどうであれ、
人は自分の「意図」を表現してしまうのです。

それは、言葉もエネルギーを持つように、
お金がエネルギーであるように、私たち自身が
エネルギーそのものであるからなのです。
エネルギーは単純に、そのままを表して外の世界に
飛び出していくだけのことなのです。
そしてそのエネルギーが同じエネルギーを磁石のように
引き寄せて、出した人の元に戻ってくるのです。
これは非常に単純な「引き寄せ」の理論です。

自分が「得意なこと」をしているときは、ほとんどのことが順調で、
さほど支障なく流れていき、そして人からも評価されます。
それを自分の「好きなことだ」と思うことはあります。
人から褒められたら気分はいいですものね。
実際、好きなことと一緒ということもあるでしょう。
ですので、それが良いとか悪いとかではありません。

ただ、「本当に好きなこと」「情熱を傾けられること」
ひいては「命がけでもやりたいこと」は
必ずしも、それとイコールとは限らない場合もあるのです。
それは、人から評価されることはないかもしれないし、
理解すらされないことかもしれません。
お金にはならないことかもしれません。
仕事にもならないことかもしれません。

さらに、まるで突き動かされるように
そのことに取り組んでいけば行くほど
ただ単に得意なだけのことをやっているのでは感じないような
深い葛藤や、悲しみ、苦しみ、不安も味わいます。
感情が大きく揺れ動くのです。
そのため、時には全てを投げ出したくなってしまったり、
消えてしまいたい位の気持ちになることさえあるのです。
でも、それと同時に、
想像もできないような喜びも味わうことができるのです。

それは私たちが本当に情熱を傾けられることに携わっていれば
それによって、深遠な人生の奥の意味の部分、言うなれば
「人生の目的」にまで触れることができるからなのです。

でもそこは、お手軽な楽しさを感じることや
損得だけを大事にしてやっていたのでは
到底見ることのできない世界です。

また、この「喜び」は大変素晴らしいことに、何かのことで必ず
人間誰もが感じられるように創られているのです。

好きなこと、情熱を傾けられること、
そのことを見つけることから始めれば、そんな深い世界まで
私たちは行きつくことができます。

そして、情熱を傾けられることは決して一つではありませんし、
必ずしも仕事になっているか否かは関係ないですし、
決して大げさなことでもないのです。
それが何であれ、喜びを見つけること、それを思う存分感じられること
そのこと自体が大切だからなのです。

もちろん、それが仕事になり、しかもそれがたくさんの人に喜ばれて、
自分も喜びを感じられるのならば、こんなに素敵なことは
ありませんよね!

私がテレビで見た、ボクシングが得意なお嬢さんは
反対されるのがわかっていてもテニスを決してやめません。
ボクシングなら世界が狙えますが、
テニスでは普通の生徒に過ぎないでしょう。
なのに、ボクシングだけでなく、
止められてもテニスをやろうとする彼女を
多くの人は理解できないかもしれません。

(実際、この番組は
「ボクシング世界チャンピオンの女の子が、部活のテニスをやめないのは
あっぱれ~~~!」とその部分を讃えたものではもちろんありません(笑)
世界チャンピオンとしての彼女と家族を追ったものです)

でも、そんなことは彼女には関係ないのです。
そこに計算は何もないのです。
もしかすると、今は「お父さんを悲しませないため、喜ばせたいから」
得意なボクシングをやっているのだとしても
彼女が、ちゃんと自分が自分らしくいられる場所を見つけていることが
本当に素晴らしいと思うのです。

きっと、これから成長するに従って、彼女が今のテニスのように
人からなんと言われようと、自分の好きなことを
どんどん見つけていき、それをもっと深めていくことができたなら
ボクシングよりも得意なものを見つけることができるかもしれないし、
またはボクシングとより深い絆で結ばれる日が来ることもあるでしょう。
とにかく、どちらも彼女の幸せ、生きる意味、そのものに
大きく関わっているのは間違いありません。

人が真摯に何かを求めていれば、どんな出来事や人間関係や物からも、
学ぶことはできるし、探しているものを見つけることができます。
年齢や性別、環境のせいにしてはもったいないです。
また、逆に特定の場所や人物をおぜん立てしてもらっても
何も求めていなければ、何も得ることはできないでしょう。

自分が本当に好きなことを見つけること。
このことは自分を知るということと同じ意味です。
そしてそれは、人生の目的、人生の意味にまでつながる
大切な入口になり得るのです。

そして大切なのは「感じること」
損か得か、ということではなく、まして何のロジックもなく
ただ単に「好き」と言えるかどうか。
それはとても大切です。

感じることを大切にすることによって「好きなこと」は、
実は「得意なこと」だった(あるいは「大得意になった!」)とわかるでしょう。
また、ただ単に得意だっただけのことが、きちんと感じられることによって
「大好きなこと」になるかもしれません。
逆の場合も、もちろんたくさんあるでしょう。
どちらでもいい、とにかく自分の本当の気持ちをわかってあげることが
一番のポイントなのです。

そして「自分が本当に好きなこと」に自分で気がついてあげられれば
後はやり続けるだけで、もっとたくさんの喜びを知ることができます。
そして、それが私たちの新しいエネルギーとなって
自然に表現されていくのです。
そして、その「喜び」エネルギーは、同じ「喜び」エネルギーを
連れて帰ってくるのです。
そのエネルギーは絶大です。

そうやって、私たち一人一人が本当に幸せになり、
それによって周りの人にも
たくさん幸せな気持ちを伝えることができるのです。
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by lovingangelsnadia | 2009-10-26 20:39 | 日常のひとこま

かぐわしき大地

「忙中閑あり」と言った感じで
東京国立近代美術館で開催されている
ポール・ゴーギャン展に行ってきました。

今回の展覧会の一番の目玉は
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
というゴーギャンの遺書とも言える大作の展示です。

この作品を描いた後、ゴーギャンは友人にこのように
手紙をしたためています。

「私はもはや言葉で表現しません。
私は文学的な手段に少しも頼らず、できるだけ単純な技法を用いて
暗示的な構図の中に私の夢を表現したのです」

この大作は非常に有名で、波乱万丈だったゴーギャンの人生観、
死生観を表した名作と言われています。

人の生と死を様々なモチーフで描いていて、ゴーギャン自身も
「これ以上の作品は描けない」と話したそうです。

ゴーギャンは「耳切り事件」で有名なゴッホとの情熱的かつ破壊的な
共同生活や、楽園タヒチに移り住んで創作活動を続けた破天荒な芸術家として
サマセット・モームの小説「月と六ペンス」のモデルにもなっています。

私は中学2年の夏に、この「月と六ペンス」を読んで
ゴーギャンがモデルと言われる登場人物のあまりのドラマティックな
人生にクラクラしてしまいました。
当時の私には、これは実話だよ、と言われても理解不能でした。
つまり、どうしてそこまで破滅的になれるのか、と。

しかし今の私にはちょっと違った印象でゴーギャンの作品は
目に映りました。

彼の作品は、タヒチでの生活を描いたものが有名ですが、それらはみな
土色というか、赤だろうと緑だろうと茶系の色が使われていて
区切りの線がはっきりしているのが特徴です。

そして裸だったり、神話の神々だったりの体や、感情が表に出ない表情と
南国のはずなのにどこか暗い風景です。

ゴーギャンは、絵を描くことの情熱に抗うことができませんでした。
そしてフランスでの生活に見切りをつけ、妻子を捨て
安定した収入の仕事も捨て、34歳で芸術のためだけにタヒチに向かいました。

しかし、そこで彼を待っていたのは貧困と病でした。
そして彼の作品は誰にも理解されませんでした。

「なんて気の毒なひと!」
と子供のころの私は思いました。
「芸術家って浮かばれないのかな」とも思いました。

でも、今回ゴーギャンの作品の数々を改めて見てみると
(これは勝手な私の推測ですが)
ゴーギャン自身が「楽園」での生活を受け入れることができなかったのではないか
と感じました。

フランスでの順調で人並みな生活を捨てたのには、並々ならぬ情熱と
熱意と期待と気合いがあったのは本当だと思います。
しかしながら、彼はもしかすると自分の中の本当に
プリミティブ(原始的)な部分をうまく受け入れることができずに
もがいていたのではないか、と思ったのです。

なぜなら、彼の作品は楽園を描いているわりには、とても暗いです。
そしてどの作品にもまるで消せないシミのように「不安」が
つきまとっています。

陽が昇ると活動し、日が落ちると眠り、神々を敬い、ほぼ裸で暮らす人々。
彼らの生活は都会の人に比べると、信じられないくらい
「生と死」が身近です。
人が生まれることも、死ぬことも、食べることも、眠ることも
全てが同じラインの上に存在していて、ある意味全くどれも特別ではないのです。

ゴーギャンは結局それを受け入れたいと熱望していたのに
反面必死で抵抗していたというか、見たくはないと思っていたのでは
ないかと感じるのです。

誰よりもゴーギャン自身が、そのような暮らしの中で
漠然とした「不安」からは逃れることができなかった。
それは「死」というもの、そして「死」へとつながる「病」あるいは「老い」です。
突然襲い掛かる自然災害や、神が人間に下す罰・・・。

画家のマティスは「色彩は自然の模倣ではなくて、人間の感情を表すもの」
と言っていました。
ならば、土色の色彩のゴーギャンの感情は
どのように表現されていたのでしょうか。

私は今回、ゴーギャンの描いた絵画よりも、多くの版画に魅せられました。
それらはほとんどが白と黒のみです。
でもだからこそ、そちらの方により鮮明にゴーギャンの人となりが
反映されているように私には思えたのです。

彼は一体どのような気持ちで、木版画を彫っていたのでしょうか。
細い細い線のたば、女性の美しい裸体を描く曲線、闇と光。
不確かなものを見つめる目線と、土着の人々の暮らしと、それに根付いた祭りなど、
彼は一体どのような視点でそこに存在していたのでしょうか。

彼が彫った無数の線には、彼の不安や楽しさや喜びや戸惑いが滲んでいます。
鮮やかな色彩では隠すことのできない微妙な線です。
南海の孤島で「本当に怖くて、不安だったんだな」と思いました。
でもなぜか同時にそこからは彼の持つ鷹揚さも強く感じました。
全てを捨て、何かに飛び込む思いっきりの良さです。
それを感じたのは、二色しかない色ではなくて、彼の彫った線の数々からでした。
まるで、女性が朝メイクをするときに、集中できないと
眉毛のラインを書き損ねたりするように・・・(笑)。

その版画の有名な作品が「かぐわしき大地」です。
ゴーギャンは本当に、類まれな才能をその「かぐわしき大地」で
思いっきり伸ばすことができたのでしょうか。
それとも、その場所にいることが、彼をより一層「大地」なるものから
遠ざけてしまったのでしょうか。

答えはわかりませんが、彼が当時認めらなかったからこそ
今の彼の作品の高評価があるのも事実です。
でも、ゴーギャンは幸せだったのか?
彼は一体何を求めていたのか?

でもタヒチを離れている最中の版画の作品を見ていると
「俺、本当はタヒチ好きなんだよね・・・」というボヤキと同時に
かの地への憧憬が伝わってきます。
離れているからこそ、かもしれませんが。

だからもしも、彼の作品が存命中に認められたなら
芸術家としてだけではなく、一人の愛すべき男性としてのゴーギャンは
もっともっと(当然のことながら)楽園を楽園として
享受できたのかもしれないと思ってしまうのです。

もしそうなっていたら、本当に「楽園」っぽい作品を描けたかもしれません。
でも、それはあまり面白みのない作品なのかもしれません。
一体どっちが幸せなんだろう?

本人はどっちがいいと思っていたのかな???
ゴーギャンこそ、一体どこへ向かっていたのでしょう。

秋の夜長に凡人の私はそんなことを考えて、すっかり気持は
タヒチへと飛んでしまうようです。
「かぐわしき大地」とは一体何なのでしょうか。
どこにあるのでしょうか。

苦しみつつ孤島で生涯を終えたゴーギャンは
最後にどんな世界を見たのでしょうか。

もしかすると、あえて「月と六ペンス」のように
ふたつの全く対峙した存在の間を埋めないことを選択した
人生だったのかな、と思うのです。
「不安」であることを選び続けたのでしょうか。

それこそが、彼が苦しみつつも多くの作品を生み出した
原動力なのかもしれません。

ポール・ゴーギャン展 2009
東京国立近代美術館
(9月23日まで)
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by lovingangelsnadia | 2009-09-09 22:40 | 日常のひとこま

国技館へ行こう!

先週日曜日に夏場所が千秋楽を迎えて、
大関「日馬富士(はるまふじ)」が優勝しました。

そこで、今回は私の大好きな大相撲が行われている両国の
国技館を皆様にご紹介しましょう!!!

着いてきてね♪

JR両国駅を降りると、すぐそこが国技館です。
場所中はもう駅から相撲が始まっている感じです。
国技館前の通りには各関取りののぼりがはためいています。
これが建物の入り口まで続いています。
ちなみに私は、ここからすでにテンションあがってます(笑)。

そして、あまり知られていないのですが、場所中は
なんと朝8時半位からずっと取り組みが行われているのですよ。
テレビの相撲中継は早くても午後3時からですから、その6時間も前から
毎日、国技館の中では熱い戦いが繰り広げられているのです。

ちなみに私は、国技館で観る時は昼過ぎ頃から行っています。
マニアなもんで・・・(笑)。
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さあ、建物の中に入ってみましょう。
まず、ここは江戸情緒いっぱいの相撲茶屋と呼ばれる
お土産屋さんのある一角です。
相撲中継をご覧になるとわかりますが、マス席に座っているお客さんは
皆さん、大きな紙袋を近くに置いているでしょう?
あの中には、お弁当や湯のみ茶碗などのお土産がたくさん入っていて
それを渡してくれたり、席に案内してくれたりするのが
相撲茶屋の人のお仕事なんですよ。

江戸っ子の千鶴は、この一角だけでも興奮しちゃいます!!!
こりゃまたテンションあがっちまうねぇ~まったく!(笑)
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では、次は『国技館名物』の食べ物のご紹介です♪

d0073968_1452677.jpgご存知相撲と言えば『ちゃんこ』。
このちゃんこを日替わりで食べさせてくれるコーナーが国技館の地下にあります。この日は『醤油ちゃんこ』一杯250円です。とにかくちゃんこだけに具だくさん!野菜も数種類と、この日は鶏肉とつみれも入っていました。味もおいしくて大満足♪


d0073968_1483759.jpgお次は、売店で売っている焼き鳥です。
こちらも「国技館に来たら食べなきゃ!」という有名な食べ物なんですよ。
たっぷり入って600円です。
お腹いっぱ~い!





そして、もちろん!
国技館には焼き鳥とちゃんこを食べに来たのではありませんよ!
(でも食べ物もかなり重要(笑))
相撲観戦に来たのです!

そしてこちらが土俵と、それを取り囲むように配置された
マス席と呼ばれる座布団敷きの客席です。
この時間はまだ中入り前なので、お客様も少なめです。
そしてその下の写真は、この日の西方幕内力士の土俵入りです。
大きなお相撲さん達が土俵に一斉に上がると、土俵がこんなに小さく
見えてしまうんですね~♪
化粧回しもそれぞれが個性的できれいですね。
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そして横綱・白鵬の土俵入りです。
う~ん♪やっぱり貫禄が違います。
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そして、私のごひいき力士、
稀勢の里(きせのさと)の取組の様子です。
「きせのん、頑張れ~~っ!!!」
私が熱く声援を送ったせいか(笑)
この日は無事白星を挙げ、結局千秋楽まで優勝争いに残りました!
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相撲を観に行くと、一番いいのがやっぱり臨場感です。
各力士の気迫も伝わってきますし、テレビ中継では見れない取組前の
様子からもいろいろなことがわかります。
「生」ならでは、の迫力と雰囲気です。

今回、そのことを強く感じた出来事がありました。
それは、たぶんテレビじゃなくて、「生」でしかわからなかったことなのです。
人間の持っている素晴らしいある”もの”を見ることができました。
つまり、輝きやオーラと言ってもいいかもしれません。

私が観に行ったのは後半戦に入った10日目だったので、まだ優勝が
誰になるのかわからない状態でした。

横綱・白鵬が先々場所から連勝記録を伸ばしている最中ですし、
もう一人の横綱・朝青龍は決して万全とは言えない状態なので、
下馬評では「白鵬の優勝かな~」という空気でした。

でも!
この日、直接観戦に行き、
割と好きな大関・日馬富士にも私は注目していました。
関脇「安馬(あま)」だった頃から、とても気になる力士でしたし、人気もあります。
そして出番になったので、ワクワクしながら土俵上のその姿を見て、
すごくびっくりしてしまいました。
体全体が真っ白に輝いていて、まるで土俵全体を照らしているようなのです。
そのために土俵と、周りにいる人達までもが輝いて見えました。
せっかくなので写真に撮ろうとカメラで写してみましたが、
真っ白になってしまって、撮影することさえできないくらいだったのです。
まるで「後光がさしている」といった感じでした。

そして、もう一人。
土俵に上がったところを見ていると、白く輝いている人がいました。
それは、横綱の白鵬です。

もう一人の横綱、朝青龍も、若干輝いてはいたのですが、
その輝きは前出の二人には及びません。
そして白鵬の輝きは、すぐに消えてしまいました。

とにかく日馬富士の輝きっぷりったら!
本当に彼がいるために、土俵全体が輝いているようでした。
私は「日馬富士が優勝したりして」とちょっと思いました。
(すぐ忘れちゃったんですけどね(笑))
そして、めでたく日馬富士が優勝したのです。

テレビでアップになったりしても、表情とか動きで調子が良いとか悪いとか
わかることももちろんありますが、やっぱりこれほどまでに鮮明に伝わってくる
ものがあるのは、まさに「生」だからなんだな、と
つくづく感じました。

それから、私が相撲を好きな理由はもうひとつ、
それは国技館なのです。
行かれた方はおわかりかもしれませんが、あそこは本当に空気が違います。
いわゆる「気」の良い、どこかの神社みたいなエネルギーが流れています。

昨今は相撲関連で不祥事なども多いですが、それでもやはり国技館の
良さが一番出ていて、そのエネルギーがさらによくなるのも
場所中なんだろうな、と思いました。
そう言えば、ダライ・ラマの来日講演会が国技館で行われることが多いのも
この「気」の良さからかもしれません。

相撲は神に捧げる神聖なスポーツなので、儀式が多くて
いろいろな事にとても丁寧に時間をかけながら進んで行きます。
それでいて、競技自体はとてもシンプルです。
でも、シンプルがゆえにそれぞれの技などはとても奥が深いのです。
そこが相撲のおもしろさなのです。

そして相撲自体は400年位前からやり方もあまり変わっていないそうで
きっとその時代時代で観ていた人も、こんな風だったのかな~
と、取り組み中にふとそんな思いを巡らせてしまいます。
だから私は相撲を見ていると、どこか古い時代に戻っているような、
そんな気がしてしまうのです。
すごく長くて、ゆったりとした時の流れとか、日本人が大事にしてきたものを
受け取っているような気がするのです。
そして、それぞれの時代の人達と一緒に観戦しているような不思議な
懐かしい感覚にとらわれます。
つまりタイムスリップしているみたいなのです。

だから私は相撲が大好きです!
皆さんも、ぜひ一度国技館で相撲観戦を楽しんでみてくださいね!

・・・って、エンジェルセラピーと全然関係ないじゃん(汗)。
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by lovingangelsnadia | 2009-05-29 14:51 | 日常のひとこま

心斎橋にて

先日大阪に出張で行ってきました。
大阪の皆さん、暖かく迎えてくださり本当にありがとうございました!

さて、大阪に到着してすぐのこと。
仕事が立て込んでいたので、早くホテルにチェックインを
したかったのですが、チェックインにはまだだいぶ時間がありました。

そこで、心斎橋の駅で時間をつぶせるところを探しました。
私は怪しい店が大好きで、こういう時は、なるべく、できるだけ、極力、普通の
まともな店でなく、うさんくさい(失礼)店に入るようにしています(笑)

最近は嗅覚が冴えてきて、「怪しい店」がすぐに目に飛び込んで来る
ようになって、段々熟練して来ました。
今回もすぐに見つけました!
地下鉄の改札のすぐ横にある、「〇〇橋コーヒーコーナー」という店です。

改札横の券売機の並ぶ奥の、カウンターだけのコーヒーコーナーです。
その隣には、合いカギや靴の修理をする小さい店もありました。
心斎橋と言えば、大阪ではミナミの繁華街なのに、ここの付近は
ひっそりとしています。
隣の修理屋さんの前には、置物みたいなお爺ちゃんがぼんやりと座っていました。

カウンターだけのこの店は、席が10席ほどあります。
小さいキッチンを囲むようにカウンターがあり、私が行った時は
サラリーマンが3人ほど、携帯をいじったりしながらコーヒーを飲んでいました。

私が座ったのはカウンターの一番はじっこです。
すぐ横にはタイムカードの機械とラジオが置いてありました。
無口な感じの中年の女性が一人で黙々と店を切り盛りしています。

ラジオからは、東京でもおなじみの上沼恵美子さんのおしゃべりが流れています。
タレントさんか誰かわからないのですが、とぼけた感じの男性との
ボケと突っ込みで軽快なトークでした。

途中からなのでよくわからなかったのですが、上沼さんは、どうやら
昔流行っていた不倫ドラマのさきがけ「金曜日の妻たちへ」のことを
話しているみたいでした。
これが上沼恵美子の「ひとり”金曜日の妻たちへ”」といった感じで
大爆笑ものなんです。

相方?の男性との掛け合いもおもしろくておもしろくて、
私は声を出して笑わないよう精一杯頑張っていたのですが
話の最後の方で、こらえきれずついに吹き出してしまいました。
もうとてもじゃないですけど我慢できません。おもしろすぎます。

でも、このとき気がついたのですが、そのお店にいる人、お客さんも
それからお店の人も、このラジオを皆聞いているのに、全然笑わないんです。
聞いていないならわかるのですが、聞いているのに笑わないんです。
「あれれ???」
すごーく不思議でした。
大阪は笑いの本場なのに・・・

次の日に、大阪でお世話になった方達と一緒に楽しいランチをしました。
その時に、この話をしてどうして笑わないのか皆さんに尋ねてみました。

地元の方が教えてくれたのは、上沼恵美子さんがちょっとおもしろいこと言ったくらいでは
当り前のことで、特別なことではないので、笑ったりしない。
それくらいのおもしろい話が聞こえてくるのは、普通のことだから、いちいち反応しない・・・
ということでした。

なるほど!
あれくらいのおもしろい話は大阪の人にとってはBGMみたいなもので
聞こえてくるのは自然で、よほどのことがない限りは反応すらしないってことなんですね!
私なんかお土産もの屋さんでも、橋下知事のお菓子のコピー読んで爆笑しちゃったし、
新幹線の乗り場に吉本グッズがたくさんあって、いちいち反応して笑ってたのに・・・
大阪の人を笑わせるのは大変なんだな~(汗)
よ~くわかりました。

・・・っていうか
大阪、すごっ。
よほどおもしろいことを言わないと、耳から入ってこないなんて。
なんて高度な聴覚なんでしょう!
”笑い”に対して高度に発達した聴覚ですよね。
これももしかしてある種のクレアオーディエンスなのでは?(笑)
私もまだまだですね。
頑張らねば(何を?)

【千鶴、心斎橋にて大阪の”笑い”を考える】でした♪
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by lovingangelsnadia | 2009-04-29 16:16 | 日常のひとこま

ギャリコの世界

ポール・ギャリコという作家をご存じですか。
今大きな書店では、特集コーナーを作っているので
名前を知っている方も増えたのではないでしょうか。

彼の作品の中で有名なのが「雪のひとひら」
(新潮文庫刊 矢川澄子・訳)という一冊です。
「雪のひとひら」は小さな”雪のひとひら”が主人公で
彼女の一生をファンタジックに描いています。

ギャリコの表現で、とても素晴らしいのが自然の描写です。
シンプルですが、荘厳で、驚きに満ちていて新鮮です。

「雪のひとひら」は、小さな”雪のひとひら”が生まれおちて
最初に体験する、美しい田園の冬の朝の様子から始まります。

明けるにしたがって刻々と変わっていく空の色と、それに
照らし出される山々や村の風景。
生まれて初めて見る、その息をのむほどの美しさに
彼女はひれ伏すような驚きと感動を体験します。
そして、何かとてつもない大きな存在が、自分たち全てを
包んでいるのではないかと感じるのです。

しかし彼女自身の一生は至って平凡なものです。
でも、その中でも彼女は様々な体験をしていき、悩んだり
悲しんだり、苦労もします。
ただ、変わらないのは常にあるがまま、まさに流れに沿って
生きているということだけです。

やがてかけがえのない大切な存在に出会い、恋をし、
家族になります。
旅は続いていくのです。
そこには甘く優しい時間もあれば、困難に立ち向かう時も
あったのでした。

そして長い月日を経て、彼女が迎えた最後の瞬間に、
ある気付きが訪れます。
自分という存在の意味、さらに、
常に見守り続けてくれていた存在を「知る」のです。

そして”雪のひとひら”は、平安と喜びに満ち、
暖かさに包まれながら、天へと帰っていくのです。

”雪のひとひら”は、本当に小さく、よるべない存在です。
物語全体は、寓話的ですし、ファンタジーの世界です。
しかし、そこにあるのは、「存在としての美しさ」です。

取り立てて事件が起こるわけでもない、平凡な一生の
”雪のひとひら”ですが、実は、その人生全てが祝福にあふれていて
あらゆる出来事には意味があるのです。
そして、存在しているというだけで、すべてが美しいという真実に
彼女自身も気がつくのでしょう。

あまねく世界の中で、たった一粒の”雪のひとひら”は
見過ごされてしまうような、特徴のない存在かもしれません。
しかし、それは夜空に輝く星のように
たった一つの光、たった一つの輝きなのです。

ギャリコの著作を読んでいて感じたのは、「美しさ」というものは
「強さ、たくましさ」に支えられているのだということです。
存在が放つ輝き、その美しさは、決して一瞬で消え去って
しまうようなものではない、そう感じさせてくれるのです。

さらに、もうひとつの有名な作品「スノーグース」では、
動物を通して触れ合った、人と人との心の交流を描いています。

容姿が醜いために、世間を離れて鳥の世話をしながら生活する画家と、
決して愛嬌があるとは言えないけれど、本当は心の優しい女の子が、
傷ついた雁を助けることによって結びついていく物語です。

ここでも、現実は残酷です。
戦争があらゆるものや、人間のいのちも奪っていきます。
しかし、逆に、何物にも奪われることのないものもあるのだと
この物語はその厳しい現実を通して、教えてくれてもいるのです。

そこにあるのは、やはり「強さ」があるが故の「美しさ」です。
しかし、その「強さ」は、決してそれ単独では主張しません。
「強さ」のための「強さ」ではないからです。
あくまでも、添木のように、そっと、でも確実に後ろから支えて
いくためのものだからです。

はかないおとぎ話だから、ファンタジーだから、現実離れしているから、
ギャリコの描く物語が美しいのではなく、
自然の中にも、そこに住む動物にも、そして登場する人物にも
存在としてのしなやかな「強さ」が感じられるからこそ、
「美しい」と感じられるのだと思うのです。
はかなさのみが、美しさの定義ではない、と。
そうギャリコは、その生き物すべてを見つめる暖かいまなざしから
紡ぎだされる物語を通して語ってくれているのです。

不器用でも、大きな何かに翻弄されながらも、生きて行こうとする姿勢や
変化に対応しようとする力、あるいは変わらないものを持ち続ける意思。
人間も自然もそれは同じなのかもしれません。

小さくても、たった一つの輝きは、たった一つのものである限り
決して消えることはないのです。

きらめくような美しさ、信じがたいような光は、どんな存在も
元々持っていて、それは何物にも奪われることはなく、
永遠に輝き続けるのだと、彼の作品は教えてくれているのです。
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by lovingangelsnadia | 2009-01-26 15:17 | 日常のひとこま
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新年明けましておめでとうございます。

鎌倉は良いお天気に恵まれて穏やかな三が日を迎えています。
皆さまのお住まいの地域ではいかがでしたでしょうか。

今年一年が皆様にとって、素晴らしい年になりますよう
心からお祈り申し上げます。

自然の移り変わりを眺めていると、いろいろなことに気が付きます。
私の窓から見える小さな山は、今の季節、葉が枯れて茶色や
グレーの色あいが中心となっています。

これが新緑の季節を迎えると、むせかえるような緑に覆い尽くされます。
今、霜が降りた地面の下では、新しい命が芽を出す時期を
じっと待っているのです。

私たちの生活もまた同じだと思います。
人間が目にすること、理解できること、想像できることはほんのわずかです。
人知の及ばないところで、宇宙はいろいろなことを創造しています。
そして私たちも知らず知らずにそれに参加しています。

でも、それを目にすることはできないのかもしれません。
あるいはできたとしても、それはめったにないことなのかもしれません。
ですから体験するということはそれだけ貴重なことなのですね。

今日見たテレビ番組で、英国の著名なガーディナー(園芸家)の
女性が語っていました。
「庭作りで一番楽しいのは作っている過程。
出来上がってしまったら終わってしまう。」

そして彼女はこうも言っていました。
「天国はここにある。
生きている普通の時間の中に天国を見つけることが大切。」

85才を迎えて尚、精力的に仕事に励む彼女が、感慨にふけりながら
そう語っている姿が印象的でした。

プロセスの中にこそ祝福があるということを、長年情熱を注いできた庭作り
から彼女は学び、実際それを感じつつ生きているのだと思います。

情熱を傾けられることがひとつでもあり、そしてそれを支えてくれる人がいて
分かち合える仲間がいれば、人生はそれだけで幸福と言えるのでは
ないでしょうか。

日々の生活を丁寧に続けながら、私も私のやるべきこと、
そして情熱を傾けられることを造り上げていきたいと思います。

皆様にとっても、一瞬一瞬が輝く一年となりますように。

心からの愛と感謝をこめて
千鶴
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by lovingangelsnadia | 2009-01-03 11:42 | 日常のひとこま

ダライ・ラマ講演会

先週、大尊敬しているダライ・ラマ法王の東京での
講演会に行ってきました。
以前からとても憧れていて、大好きな法王ですが
直接、この目で本物を見るのは初めてです。
何日も前から大興奮でした。

会場は相撲が行われる両国国技館。
いつもは土俵がある場所が、アリーナ席になっています。
マス席は二階席のような感じで下を見下ろしています。
私は、そのマス席の一番端に座りました。
ちょうど法王の真横を見る感じです。

早めに行くと、檀上には玉座が置かれていて、
その後ろには大きな曼荼羅。
そしてその両側には、スクリーンが備え付けられています。
会場には読経のテープが流れていて、厳かな雰囲気です。

入場する際には、全員が金属探知器によるボディーチェック、
持ち物の検査を受けます。そのものものしさに
亡命政府の最高指導者だということを、改めて認識しました。
ちなみに会場にはペットボトルも持ち込み禁止でした。

開始時間をだいぶ過ぎた頃
全員が立って、大きな拍手を送る中、ようやく法王が姿を表しました。
私は嬉しくて嬉しくて、拍手しながら号泣でした。

二階のマス席から表情は見えないのですが、スクリーンに
映し出される顔は、ネットなどで拝見する「人懐こい」表情そのものです。

今回の東京での講演の題名は
「人間の本質は光」というものでした。

まず最初の言葉として、法王が語ったのはこんな話でした。

「私は特別な人間ではありません。
皆さんと同じように、大勢の中の一人です。
そしてまた、私は一介の初心者の修行僧です。

私に会うと人生が変わる、とか、何か特別なことを
言うのではないかと期待していらっしゃった方もおいでかも
しれませんが、それは違います。

そして私には”Hearling powerがある、という方も
いますが、私にはそんなものはありません。

もし、私にそのような力があるならば、
先月受けた胆石の手術は、自分で治せたはずですから
受けずに済んだでしょう(笑)」

チベットの人々は、ダライ・ラマという存在は
菩薩観音が涅槃に行かずに、人々を救済するために
わざわざ地上に降りてきて生まれ変わったのだと信じています。

法王自身も、二歳の時に前の13世ダライ・ラマの生まれ変わりと
認定されてから、チベットの歴史とともに激動の人生を
歩んで来ました。

小さな頃から特別扱いを受けていたでしょうし、その特別な
立場ゆえに、祖国を追われても、亡命政府の指導者として
精神的、そしてもちろん政治の面でもリーダーシップを
取らねばならず、普通では考えられない苦しみもあるでしょう。

その「特別な人」が、自分を「特別ではない」と、おそらく本心から
話しているのが伝わってきて、私は静かに感動しました。

法王は、「私は子供の頃から、常に心の訓練をしてきました。」
と何度も語っていました。
彼の著書にも、その話はよく登場します。

彼の信じる「仏の道」を極め、そして自らの中に入っていけば
外側の世界がどんなに激動で過酷なものであろうと
内側には「たったひとりの人間」として、自分の存在を
小さいものとしてみると同時に、とてつもなく大きなものであり、
それは皆同じだということを感じたのではないかと、
それこそ、心の訓練の面で修行の駆け出しに過ぎない私も
法王の姿から感じることができました。

そして、改めて「癒し」というものは、外から与えられるものではなく、
内側からつかみとるものなのではないか、と考えました。
あるいは、それを助けてくれる人と同時に、お互いの思いが
なにかの化学作用のような感じで、ある素晴らしいものを
発生させることができる、そんなもののような気がします。

そして「人間の本質は光」ということについて、
法王は次のように語りました。

「人間の心を水に例えましょう。
時々、流れが淀んで砂が混じり、濁ることがありますが、
それはいつまでも続かない。
やがて自然に、澄んだ状態に戻ります。

その澄んだ状態こそが、人間の本質なのです。」

私たちが、日常で怒り、苦しみ、悲しみ、嫉妬などで
心が乱れたとしても、それは私たちの本質ではない。
砂が入って濁ってしまった状態に、一時陥っているだけである。
元の澄んだ水の状態こそ、私たちの本質なのである、ということです。

また法王は、
「ネガティブな心を持ってしまったら、それとは反対の心を
強くするように、訓練しなければならない。

ネガティブな感情そのものは、決してすべてが悪いわけではない。

たとえば、怒り、嫉妬、欲望などは、自分にとって必要なものを
引き寄せるために、ある程度あってもいいものである。

ただ、それが多すぎてしまうのが問題なのだ。

ネガティブな心は、まったく正反対の心を強くすることで
うまくつきあっていけるようになる。

それは”愛”と“慈悲”です。
私たち人間が生まれながらにして持っている、
生き抜くための強い力・・・
それがこの”愛”と”慈悲”の心なのです。」

Love and Compassion

法王はこの言葉を何度も繰り返しました。
これこそが、私たちに与えられた一番の力なのだと語っていました。

すべてを否定するのではなく、ありのままでいいのだと
そんなことを感じました。

人間は不完全です。
ミスを犯し、人を傷つけ、自分自身も傷つけます。
しかしそれは本質ではない。

湧き上がるあらゆる感情を否定せず、それでもなお、愛の心を
強くする訓練を続けよう、そんなふうに思いました。

法王は、通訳の方が話している間は、落ち着きなくきょろきょろして
あちらこちらに愛想を振りまき、あくびも何度もしていて、非常に
普通のおじさんっぽい感じでした。
常に緊張状態にある立場にも関わらず、このような自然な感じが
人気の秘密ですね。

講演が終わって、名残惜しくも法王が退場されるとき、
私の席の目の前にある、舞台の袖を通りました。
たくさんの人に支えられて檀上を降り、控え室に向かう途中
突然、法王がこちらを見上げたのです!

舞台の袖なので、その法王の姿を見ることができるのは
私も含めて、舞台の真横に座っていたマス席の10人くらいです。
その場所の全員が突然の幸運に大興奮でした。
私も思いっきり背伸びをして、大きく手を横に振りました。
法王もこちらをニコニコしながら見上げて、手を振り返してくれました。

「ダライ・ラマと目が合った!!!!」

なんて素敵な偶然でしょう!!!

法王は、確かに人を引き付けるものをお持ちだし、
話している時には威厳と確信に満ちていました。
ただ、ご自分が話している通り、特別な雰囲気を作ろうとするような
感じは全く無くて、普通で、自然でさわやかな風のようでした。

だから私にとっては、感動に体が震えるというよりも
「また明日からも頑張ろう!」と力強く思えるような
そんな素晴らしいエネルギーを持った方でした。
だからこそ、よりしっかりと確かなものを受け取りました。

そして私は改めて「普通でいる」ということの
大切さ、偉大さをしみじみと感じていました。
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by lovingangelsnadia | 2008-11-13 11:17 | 日常のひとこま

最近読んだ本の中から

私は本が大好きで・・・というよりも生活の一部といった感じで
毎日かなりの時間を読書に割いています。

電車、バスでの移動中はもちろん、パスタをゆでたり、煮ものを
煮ている間、お風呂のお湯をためている間、洗濯機が止まるまで、
あるいは銀行のATMで並んでいる時も読んでいます。

先日はバスの中で読んでいた本を、途中で止められなくなってしまい、
降車してからもしばらく歩きながら読んでいて、
バス停に激突してしまいました。(!)

とても不思議だったのですが、その時の私にはバス停の方が
私に向かってきたような気がしました。(・・・なわけないでしょ!)
↑良い子はマネしないでくださいね。危険です(苦笑)

そこで、最近読んだ本の中で印象的だったものを
いくつかご紹介したいと思います。
感想は私の個人的な偏見に満ちたものなので(笑)
ご購入の際は、ご自身の目で確かめてから、をお勧めします。



「人体と宇宙のリズム」
ルドルフ・シュタイナー 著
西川隆範 訳(風濤社)2200円


幼児教育の世界でも有名なシュタイナーの本です。
彼の独自の理論で、生活のリズム、人体の仕組みなどについての
こまごまとしたことまで網羅されています。
時々「え?」と思うような、もしかすると「偏見?」とも
とれるような、かなり独自の展開の部分もあります。
正直言って私は「おもしろいおじさんだなあ」(笑)と読んでいて
感じました。

ただ、彼は非常に信念が強い人で、その上、彼なりの感じ方で
この世界の「リズム」というものを解明しています。
そこには、多くの人が普通に生活している時に自然に感じている
ものも多いので、これほど幼児教育にも影響を与えているのだと
思いますし、彼自体が「教育ほど大切なものはない。」と
信念を持って様々な活動をして、それが実を結んでいるのでしょう。
「教育」の大切さは、クリシュナムルティも力説していますね。

ただ「こうせねばならない」と規則に囚われしてしまいがちの方にとっては
「リズム」というものが、それ自体にこだわり過ぎるきっかけにも
なりがちなので、この本は不向きかもしれません。
何かの生活の指針が欲しい方にはお勧めです。


「恋するアーユルヴェーダ」
リサ・マリー・コフィー 著
矢野真千子 訳(春秋社)1600円


これは単純におもしろいです。
多くの方が興味を持っているインドの伝統的な学問、
アーユルヴェーダ。
これは人間を、宇宙と同様の「風、空、火、水、地」に
「魂」が加わったものだと考え、それを3つの生物学的な形にしたのが
ドーシャだと言われていて、私たち人間はこの3つのドーシャ
のどれかに属するという考え方です。

この本は、それをもとにして、おもに女性の大好きな(笑)
恋愛やその他の人間関係において、このドーシャを活用した
形でのアプローチを提示している本なのです。

占いなどでは、人間は何種類にも分けられますが、この本を
読んでいると「三種類くらいがちょうどいいのかも。」
という気持ちになりました。

私がどのドーシャになるかは内緒ですが(笑)、ユーモアと
臨場感たっぷりに描かれた、それぞれの説明を読んだ時に
「え???私のことを見て書いたのかな???」と
思わず疑うくらい当たっていて(というか、そのものずばりでした)
びっくりしました!

他の学問と同じように、極めればとても奥が深いですが、
楽しく入門として触れるには、とてもいい本だと思います。


「アトランティスの叡智」
ゲリー・ボーネル 著
大野百合子 訳(徳間書店)1800円


これは、かなり壮大な内容になっています。
それこそ、宇宙の誕生から現在に至るまで、さまざまな次元での
さまざまな出来事を、ゲリーがアカシックレコードを読み込んで
書いているもので、歴史書を読んでいるような気持ちになります。

観念的、抽象的な部分も多いので、読みにくい箇所もあります。
私は単純に、これを翻訳した大野さんを尊敬してしまいました。

アトランティスとレムリアの関係、それらが今現在の私たちの
生きている世界にどのような影響を及ぼしているか、そして
私たち日本人(東洋に生まれた人)の役割についても言及されています。

こう言った類の本は、賛否両論あるとは思うのですが、
自分の感覚に照らし合わせて感じることを大切に、また時には
疑ってみるような第三者的な視点も持ちながら、自分なりに
読み進んでいければいいのではないかと思います。

私個人としては
この本の中でアトランティスの地形に関しての詳しい記述が
あるのですが、読みながら
「ああ、そうだった、そうだった。」とまるで
思い出すような感覚で読んでいる自分に気が付くという
とてもおもしろい体験をしました。

読んだ方がそれぞれの視点で、私のような体験をすることが
できる本かもしれません。
そういった意味では、このボリュームで、この内容で”1800円”
という価格は、かなりお得です(笑)


「みんなが幸せになる ホ・オポノポノ」
イハレアカラ・ヒューレン
インタビュー 櫻庭雅文(徳間書店)1500円


以前、私のブログでも紹介させて頂き、このブログのお勧め本にも
掲載している「ハワイの秘法」のモデル、イハレアカラ・ヒューレン博士の
インタビューを日本の出版プロデューサーが行い、それを
本に書き起こしたものです。

「ハワイの秘法」よりも、かなり内容的にはしぼってあり、
とても読みやすくなっています。
日本人向けということで、とても受け入れやすいです。

ホ・オポノポノには私も並々ならぬ関心があるのですが
非常にシンプルであるにも関わらず、内容は奥深くて
逆にわかりにくく感じてしまうことさえあります。

「愛しています、ありがとう、ごめんなさい、どうか私を許してください。」
この言葉を使って、ただただクリーニングするだけで良い
というシンプルなメソッドなのですが、
それはなぜなのか、どういうとき、どうやればいいのか、
ということが「ハワイの秘法」ではわかりにくくなっていました。

それがこの本では、具体例をあげていたり、インタビューアーが
質問していくことによって、より明確になり理解を助けてくれています。

途中、博士の日本でのセミナーに参加した、日本人の体験談も
載っているので、それも親近感がわく理由です。
それにしても、ちょっと驚いたのが、そのセミナーに、
あの作家のよしもとばななさんが普通に参加していたというくだりです。

ご本人による体験談も掲載されています。
さらに先にご紹介した、ゲリー・ボーネルの本の巻頭にも彼女の寄稿した
賛辞の文章があり
(ゲリーとの個人的なつきあいについてが書かれています。)
その題名が
「いつからかゲリーが」となっているのですが
私としては、最近読む本、読む本に登場する”よしもとばなな”さんに
対して
「いつからか”ばなな”が」という文でも送りたいくらいです(笑)
確実に断られると思いますが・・・




冗談はさておきまして、もし気になる一冊があれば
ぜひ書店で手にとってみてください。
そして、くれぐれも私の感想を鵜呑みにしないで(笑)
ちゃんと立ち読み(書店の人に怒られない程度に)してからご購入を!
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by lovingangelsnadia | 2008-10-28 22:47 | 日常のひとこま