ドリーン・バーチュー博士公認エンジェルセラピープラクティショナー(R)の千鶴が、天使からのメッセージをお届けします。エンジェルリーディングのセッション等については、私のHPをご覧ください♪


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<   2009年 01月 ( 5 )   > この月の画像一覧

ギャリコの世界

ポール・ギャリコという作家をご存じですか。
今大きな書店では、特集コーナーを作っているので
名前を知っている方も増えたのではないでしょうか。

彼の作品の中で有名なのが「雪のひとひら」
(新潮文庫刊 矢川澄子・訳)という一冊です。
「雪のひとひら」は小さな”雪のひとひら”が主人公で
彼女の一生をファンタジックに描いています。

ギャリコの表現で、とても素晴らしいのが自然の描写です。
シンプルですが、荘厳で、驚きに満ちていて新鮮です。

「雪のひとひら」は、小さな”雪のひとひら”が生まれおちて
最初に体験する、美しい田園の冬の朝の様子から始まります。

明けるにしたがって刻々と変わっていく空の色と、それに
照らし出される山々や村の風景。
生まれて初めて見る、その息をのむほどの美しさに
彼女はひれ伏すような驚きと感動を体験します。
そして、何かとてつもない大きな存在が、自分たち全てを
包んでいるのではないかと感じるのです。

しかし彼女自身の一生は至って平凡なものです。
でも、その中でも彼女は様々な体験をしていき、悩んだり
悲しんだり、苦労もします。
ただ、変わらないのは常にあるがまま、まさに流れに沿って
生きているということだけです。

やがてかけがえのない大切な存在に出会い、恋をし、
家族になります。
旅は続いていくのです。
そこには甘く優しい時間もあれば、困難に立ち向かう時も
あったのでした。

そして長い月日を経て、彼女が迎えた最後の瞬間に、
ある気付きが訪れます。
自分という存在の意味、さらに、
常に見守り続けてくれていた存在を「知る」のです。

そして”雪のひとひら”は、平安と喜びに満ち、
暖かさに包まれながら、天へと帰っていくのです。

”雪のひとひら”は、本当に小さく、よるべない存在です。
物語全体は、寓話的ですし、ファンタジーの世界です。
しかし、そこにあるのは、「存在としての美しさ」です。

取り立てて事件が起こるわけでもない、平凡な一生の
”雪のひとひら”ですが、実は、その人生全てが祝福にあふれていて
あらゆる出来事には意味があるのです。
そして、存在しているというだけで、すべてが美しいという真実に
彼女自身も気がつくのでしょう。

あまねく世界の中で、たった一粒の”雪のひとひら”は
見過ごされてしまうような、特徴のない存在かもしれません。
しかし、それは夜空に輝く星のように
たった一つの光、たった一つの輝きなのです。

ギャリコの著作を読んでいて感じたのは、「美しさ」というものは
「強さ、たくましさ」に支えられているのだということです。
存在が放つ輝き、その美しさは、決して一瞬で消え去って
しまうようなものではない、そう感じさせてくれるのです。

さらに、もうひとつの有名な作品「スノーグース」では、
動物を通して触れ合った、人と人との心の交流を描いています。

容姿が醜いために、世間を離れて鳥の世話をしながら生活する画家と、
決して愛嬌があるとは言えないけれど、本当は心の優しい女の子が、
傷ついた雁を助けることによって結びついていく物語です。

ここでも、現実は残酷です。
戦争があらゆるものや、人間のいのちも奪っていきます。
しかし、逆に、何物にも奪われることのないものもあるのだと
この物語はその厳しい現実を通して、教えてくれてもいるのです。

そこにあるのは、やはり「強さ」があるが故の「美しさ」です。
しかし、その「強さ」は、決してそれ単独では主張しません。
「強さ」のための「強さ」ではないからです。
あくまでも、添木のように、そっと、でも確実に後ろから支えて
いくためのものだからです。

はかないおとぎ話だから、ファンタジーだから、現実離れしているから、
ギャリコの描く物語が美しいのではなく、
自然の中にも、そこに住む動物にも、そして登場する人物にも
存在としてのしなやかな「強さ」が感じられるからこそ、
「美しい」と感じられるのだと思うのです。
はかなさのみが、美しさの定義ではない、と。
そうギャリコは、その生き物すべてを見つめる暖かいまなざしから
紡ぎだされる物語を通して語ってくれているのです。

不器用でも、大きな何かに翻弄されながらも、生きて行こうとする姿勢や
変化に対応しようとする力、あるいは変わらないものを持ち続ける意思。
人間も自然もそれは同じなのかもしれません。

小さくても、たった一つの輝きは、たった一つのものである限り
決して消えることはないのです。

きらめくような美しさ、信じがたいような光は、どんな存在も
元々持っていて、それは何物にも奪われることはなく、
永遠に輝き続けるのだと、彼の作品は教えてくれているのです。
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by lovingangelsnadia | 2009-01-26 15:17 | 日常のひとこま

私の仕事(3)

私たち人間は非常に不器用で不完全です。
時には、ひどくよこしまなことを考えたりもします。
(もちろん私も・・・ふふふ。)

ですから、ここまではこういう考え方をするけれど、ここから
先は全く変えてやれる、と自分の中で線引きをしながら
様々な場面で別人になったかのように全く違った面を出しつつ
生活することはとても困難なことだと思うのです。
もちろんできないことはないですが、かなり無理があるでしょう。
そして無理なことは続きません。
それにとても疲れます。

もっとわかりやすく言うと、同じ人間が違う面をたくさん持っているのは
事実ですが、同じ人間でありながら、いちいち顔を変えるように
考えをすべて変えながら生活することは無理なのではないか
ということなのです。
それに隠していることがあったとしても、それは何らかの形で
外側に滲み出てしまったりもするでしょう。

例えば、普段はそれを見せずに暮らしているけれど、実はとても
あることに興味があって、とても好きで、でもそれを知られたくないので
何も知らないふりをしている・・・と言った場合などです。
ただ別に、これ自体は全く悪いことではありません。

そして確かにすべてを常にさらけ出す必要はありませんが、
明らかに自分で無理をしているとわかっている場合などは特に、
まるでテレビのチャンネルを変えるように、いちいち態度を変えるために
自分の気持ちを変えようとすることはとても骨の折れる作業です。

疲れることではあっても、それをしていくのが良いと思えてやるならば、
続けていくことは可能です。
(例えば好きになれない仕事を続ける、愛せない人と一緒にいる、など。)
ただ、非常に疲れることをずっと続けていくのは大変ですし、
そういう風に生きていくのには、人生はあまりにも長すぎます。
そして、このような生き方を選ぶのには、安心感の欠如が考えれる
一番大きな理由だと思います。
「ただ存在している」、それだけで良いのだということに確信が持てない、
それではだめだと思ってしまう。
だから自分以外の何者かになろうともがくのです。

私たちは私たち自身であって、他の何にもなりえません。
どんなよこしまなことを考えていようと、あるいは純粋でいようと、
ありのままの私たちが、私たち自身であるということは事実ですし、
私たちは不完全であるがゆえに完全であるのです。

そんな私たちは、何か特別なことをするから存在する意味がある
というわけではなく、ただ、「存在していること」自体が重要なのです。
何かをそのために変える必要などないし、ただありのままの姿で良いのです。
ですから、一番大切なのは、普通の普段の生活なのです。
普通の生活の中で安心感を感じることなのです。

お湯に手を浸すと伝わる暖かさ、心を軽くしてくれる音楽。
よく乾いた洗濯物の匂いや、夕方にどこかの家からもれてくる
夕食の支度の音や子供の笑い声、真っ青な空や、道端に咲く小さな花。
友達からのちょっとした励ましや、上手にできた料理の味。
離れていても思い出す愛する人の笑顔や、仕事で感謝された時の充実感、
誰かに思いのほか親切にしてもらったりしたこと・・・

格好つけて言ってしまえば、日常のほんのさりげない小さなことの
すべてに祝福が宿っていることに気がつくこと。
そしてそれが大きな安心感につながることに気がつくこと。
それが私達を支えてくれます。
少なくとも私はそうです。
つまり、「ありのままである」ということなのです。
一番大切なことは、日常のあちこちに星のように散りばめられています。

スピリチュアルな気づきは誰にでももたらされるものです。
ただそれがいつなのか、何なのかはわかりません。
そして、それに気がつかなかったことにして生きていくこともできます。

ただ、こうして誰にでももたらされているはずの”小さな”安心感は、
信頼への大きな土台になり得ないでしょうか。
このような形で、「安心感」を感じることは誰にでもできます。
今、すぐ隣にいる誰かの顔をちょっと注意して見てみてください。
そして、もしその人の顔が悲しみや苦しみで曇ってしまっているなら、
何か冗談を言って笑わせてみてください。
その笑顔を見て、あなたは素敵な気持ちになるでしょう?

もしかわいいペットがそばにいるなら、そっとその体を抱きしめてみてください。
そして本当に誰もいなくて、もしもあなた一人なら、鏡をのぞきこんで
ニコッと笑ってみてください。
きっと幸せな気持ちになるはずです。

それこそが、私たち皆が持っている「感じる」と言うことなのです。
理屈でもなく、論理でもありません。
ただ「感じて」みてください。

私たちが安心感を感じ、それを受け入れることができると、光の存在達は
様々なメッセージを携えてやって来ます。

安心感=信頼は、まるでつまってしまっていた配管かコードをきれいに
掃除してくれるかのように、光の存在と私たちとの間にあった「汚れ」を取り除き
すべてをスムーズに流してくれるのです。

「汚れ」とは、恐怖だったり、偏見だったり、慢心だったり、猜疑心だったり・・・
これは人間関係にも当てはまりますよね。
これらの気持ちを抱いてしまうと、
人との関係は常にあやうくトラブルが絶えません。
しかし、素直な気持ちで接することができれば、お互いに良いものだけを
交換し合えてうまくいきます。
言葉さえいらなくなるでしょう。
光の存在との関係も、それは全く同じなのです。

ですからスピリチュアルなことで能力を伸ばすことを、
決して特別なことだと思わないで頂きたいのです。
それは日常とかけ離れたところで行われる作業ではないのです。

私たちは常に成長し変化しています。
そしてそれをサポートしようと、さまざまな力が働いているのです。
まずそれを小さなことから信じてみること。
それには感じてみることが何よりも重要ですし、それ自体は実は難しくはないし、
いつでもどこでも誰にでもできることなのです。

そして、そこからは、どんどん先が見えてくるでしょう。

それから、前回書いた、天使などの光の存在が基本的には
自分の意思、意向を主に強く伝えてくることはない、と言う部分での補足です。
私がコンタクトを取った女神などは、ある一定の役割を持っていて
それを私にも手伝うようにと伝えてきました。

例えばですが、私は海だけでなく自然が大好きで、美しさを取り戻したいと、
昨年の春に屋久島を訪れて以来、特に強く願うようになりました。
でも、海だけが重要だと思っているわけではありません。
もちろん山も川も森も同じように大切です。

ただ、私の元に現れた海の女神は、とにかく
「海をきれいにしなさい。海を美しくする活動を助けなさい。」と言いました。
もちろんそのことに異議はありませんし、私もできるだけそうしたいと
思っていて、自分なりに気をつけていたりもします。
でも、このような形で、私たち本人自身が自覚していない部分、つまり
地球の一員として、のような部分での参加や気づきを促してくることが
あるのも事実です。

私が考えるに、おそらくそれがそのメッセージをもらった個人の利益や
意向と著しくかけ離れることはないとは思いますが、意外だなと感じることは
あるかもしれません。
ですから、そういうこともあるということは付け加えさせて頂きたいと思います。

この記事は、これからも時々書いていきたいと思っています。
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by lovingangelsnadia | 2009-01-05 20:12 | エンジェルセラピー

私の仕事(2)

「そもそも世の中に霊体なんて存在するのか」、あるいは、
「サイキック(霊的)な力なんてあるのか」
という批判を考えてみた場合、私の個人的な意見としては
「どちらでもいいのではないでしょうか。」です。

こういった仕事をしているわりには、ひどくあいまいな返答で
大変申し訳ないのですが、いつもセッションやワークショップで
申し上げているように、スピリチュアルなことはとても個人的なことです。

いくら世間で赤色が流行っていたとしても、自分の着る服の色は
自分で決めます。
食べ物だって、住むところだってそうです。
誰かを愛したり、友達として付き合うのもそうです。
好みというものや、自分に関する選択は、誰でも自由で、
そして、それは常にとても個人的なものです。
そうでなくてはおかしいし、それは一番大切で、
すべての人において守られるべきものでしょう。

ですから、私がここで書いていることは、読んでくださる方が
何かを「感じて」くださればいいとだけ思ってやってることですので、
皆さんがご自分の中で「感じた」ことを大切になさって頂ければ
大変有り難いです。

またこのような事柄においても、個人の考え方、
そしてやり方は異なりますので、私の今ここで書いていることも
個人的な経験の範囲を超えるものではありません。
ただ、何らかのヒントになって、次へのステップにつながれば、と
思い書いています。
そして、私の文章がそうなれれば大変嬉しいですし、とても光栄です。

それでは、前回の続きにまいります。

光の存在達との連携プレーで可能になることがある、と書きました。
それでは「光の存在」とは何でしょうか。

昔おばあちゃんがいつも神棚に手を合わせていました。
お正月になると、(これは今でもですが)家のあちこちにしめ飾りをして祝いました。
昔の住宅には、土間にも囲炉裏にもかまどにも神様がいるとして
丁寧に扱ったり、感謝して暮らしていました。
また、そういった存在を困らせたり粗末に扱うと罰があたるとも
信じられてきました。
自然の中にも、日々の暮らしの中にも神々が宿っていたのです。

日が昇れば、太陽に手を合わせ、
日が落ちれば、月にもお供えをしていました。
目に映るものすべてに感謝して、さらに目に見えないものも
敬っていたのが日本人です。

そして、このブログを読んで頂いている方が大好きな天使たち。
聖書の中にも登場しますし、有名な西洋の絵画にもたくさん登場します。
また私たち東洋人にもなじみの深い観音さまや菩薩も、東洋の天使
として考えられています。

またそれぞれの方が、それぞれのイメージを思い浮かべながら
口にする「神様」という言葉。
それは人によっては「宇宙」だったり「創造の源」であるかもしれません。

このようにして、私たちは常になんらかの形で、いわゆる光の存在を
感じながら生活していると言ってもいいでしょう。
特に日本人は古来からそれが強かったかもしれませんね。

つまり、私達の周りには、そういった光の存在がいるということは
実はごく当たり前のことであって、なんら不自然なことでも、特殊なことでも
ないはずだったのです。

ところが、いつの間にか「スピリチュアル」と言うと、特別なことなのだと
思われるようになってしまいました。
何かが取り上げられると同時にカテゴライズされていくと
そうなってしまうのは避けられない運命なのかもしれませんが・・・
特にスピリチュアルなことは、目には見えない世界のことですから。

そしてもうひとつ。
私達の住む世界には宗教というものがあります。
この宗教によっても考え方が変わってくるということも大きな理由でしょう。

しかしここで、改めてお伝えしたいのは、
スピリチュアルなことはとても個人的なことである、ということです。
それをベースにして、また話を続けさせてください。

自分のところに来た、何らかの存在の何らかのリクエストに対して
聞き入れるのか、あるいは聞くことをしないのか、
応えるのか、応えないのかを区別しつつ、
選択することが重要と前回述べました。
そしてそれには、光の存在との連携プレーが必要であると。

連携プレーに大切なのは「信頼」です。
信用できない人と仕事をするのはとても困難なことです。
無理してやればできないことはないですが、デリケートなことに関しては
それは無謀と言うべきでしょう。

そして、こと私がいまお伝えしているような事柄については
信用できない存在との連携プレーは不可能ですし、非常に危険です。

では「信頼」とはどこからくるものなのでしょう。
相手の存在をよく知って、理解して、さらに好きになれたら
もう言うことはありませんね。
でも、それでも信頼できない場合もあるかもしれません。
それは自分の心の中に巣くっている恐怖のせいかもしれません。
すべてを知ることは不可能ですが、ひとはすべてを知りたがります。
それに光の存在達は、私たちがいわゆる論理的に納得できるような
信頼に足る理由をなかなか提供してはくれません。
何しろ「見えない」存在なのですから。

つまり、光の存在に関して言うならば、彼(彼女)たちとの信頼関係に
おいて、私たちは自分自身の感覚を信じることでしか、
強いパイプは作れないのです。
私たちがいかに自分を信じられるか、自分自身の感覚に素直で正直で
いられるかということになるのです。

物事は時に、とても単純にシンプルに考えることが大切です。
そこで最初の話に戻ってみましょう。

私たちは昔から、そして小さい頃からずっと、なにかしらの見えない存在に
手を合わせたり、希望を叶えてくれるように祈ったりしながら生きてきました。
誰かに教えられたのかもしれませんし、自分で感じたからかもしれません。

始りは何だったのかわかりませんが、とにかくそうしてきたのです。
そして、私達の先輩たちもそうしてきました。
それが文化を作ってきたし、繁栄のきっかけにもなってきました。
私達の生活を様々な面で豊かにしてくれていたのです。

ならば、それが何であろうとも、「信じること」から始めてみたらいかがでしょうか。

つまりとてもシンプルな答えです。
とにかく、自分にとって良いものは信じる、受け入れてみる、ということです。

これは、私がレッスンやワークショップで常に申し上げていることでもあるのですが
「普通の生活を大切にする」ということに、とても深く関係しています。

そして、この辺りのことも含めて、次回に続けます。
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by lovingangelsnadia | 2009-01-05 16:56 | エンジェルセラピー

私の仕事(1)

スピリチュアルなお話を四回に分けてお送りします。

レッスンをしていて、よく皆さんから質問されるのは
「サイキックな能力を伸ばすにはどうしたらいいのですか?」
というものです。
その度にきちんとお答していますが、ここでもう一度
私が普段していることをお伝えすることによって
何かの助けになればと思い記事を書くことにいたしました。

直接的なことは敢えてあまり書きませんが、全体の
流れから読み取って頂ければと願っています。

私には昨年末から始めた”ある仕事”があります。
仕事と言っても、誰かから代金をもらえるわけでもありませんし、
私以外の人が私のその仕事に気がつくことは、
あまりないかもしれません。

でも、その一見関係がなさそうな、この、私が始めた
”ある仕事”というものを通して、話を進めていきたいと思います。

世の中には、実にさまざまなエネルギーが渦巻いています。
私たち生きている人間の気持ち、そして光の存在たち、
自然の発するもの、そして亡くなった人たちの存在もそうです。

私が始めた仕事というのは、普段の生活の中で出会った
亡くなった方たちの話を聞き、リクエストがあった場合、
できる限りその意向に沿って何かを手伝うというものです。

人間には亡くなっても魂があるので、生きていた頃と同じように
笑ったり泣いたり怒ったりしている場合があるのです。
まして、この世に何らかの気持ち
(それがポジティブであれ、ネガティブであれ、とりわけ後者)を
残している場合はなおさらです。

もちろんいわゆる霊障のようなかたちで、それが生きている人間を
通して表現される場合も多くあり、それが病気やけが、
あるいは物事がうまくいかない、などの面で問題を引き起こしてしまう
ことがよくあります。

ただ、そういったいわゆる恐ろしいことを引き起こす霊体ばかりが
いるわけではなく、私達のご先祖や、ゆかりのある存在などは
基本的には私たちを守り、導いてくれようとして
近くにいてくれています。

基本的に、と書いたのには理由があります。
これはレッスンでもよくお話していることなのですが、
天使などの純粋な光の存在と若干違って、生きていた人間が
霊体となって現れる場合、ともするとその霊体自身の「意向」
というものが強く主張される場合があります。

つまり、受け取る私たちの「意向、意志」よりも、その霊体自身の
「意向、意志」を強く伝えてくる場合がままある、ということなのです。
これは天使、そしてその他の光の存在にはあまりありません。
(ここで、あまり、と書いたのにも理由がありますが、それは次回に
書くことにしますね。)

で、話は戻りまして、私の最近始めた仕事のことです。

私がプライベートで、近所や、あるいは旅行先をうろうろとしていると
何体かの霊体が話しかけてくる時があります。
最初はかなり乱暴なやり方(私の体調が悪くなったり、めまいがしたり)
でアプローチしてきていたのですが、ここのところは
あちらも私をある程度は認めてきてくれているようで(笑)
あまり手荒な真似はしてこなくなりました。

何をしてくるかと言うと、非常にこまごまとしたリクエストをしてくるのです。
例えば「〇〇と言ってほしい、〇〇を供えてほしい、話を聞いてほしい。」
などです。ちょっとここには書けないような、かなり込み入った願いを
言われる場合もありますし、すぐにその場で対応できないような場合もあります。

もちろん私はできる限りのことをして応えるようにしていますが
「それはちょっとできません。」とか「それはやりたくありません。」
と内容次第では丁重にお断りすることもあります。
そして再度相談して、リクエストをし直してもらっています。
つまり私は自分のできることを、できる範囲で誠意を持って対処して
いるだけなのです。

これを読んでくださっている方の中にも、こういった”リクエスト”を
いろいろな形で受け取ってしまい、体の調子を悪くしたり、
気分がふさいだり、外に出るのが嫌になってしまった方もいらっしゃる
かと思います。

あるいはリクエストが来ていること自体に気がつかずに、体が重くなったりして
ただ具合が悪くなってしまっているのかもしれませんね。
それはひとえに、このリクエストを聞くことと、それから聞き分けることが
非常に難しいからなのです。

自分に負担にならずに、リクエストを聞き(あるいは「聞かない」というのも
選択肢の一つです)、応えていくか、応えていかないかを決めていくことは
とても大切なことです。

また、(自分にとって)聞くべきリクエストなのかを見極めることも、
非常に重要です。
先ほど書きましたように、中には危険な存在がいることも
残念ですが、また事実だからです。
私たちは今の自分自身の人生を一番大切にしなければならないのですから
その見極めはとても大事です。

それでは、危険なく、スムーズに、リクエストを聞き分けて、悩める霊体達が
少しでも癒されるお手伝いをするにはどうしたら良いのでしょうか。

これを説明するのはとても難しいのですが、次回は光の存在達との
連携プレーによって、それが可能になるということをお伝えしたいと思います。
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by lovingangelsnadia | 2009-01-05 14:55 | エンジェルセラピー
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新年明けましておめでとうございます。

鎌倉は良いお天気に恵まれて穏やかな三が日を迎えています。
皆さまのお住まいの地域ではいかがでしたでしょうか。

今年一年が皆様にとって、素晴らしい年になりますよう
心からお祈り申し上げます。

自然の移り変わりを眺めていると、いろいろなことに気が付きます。
私の窓から見える小さな山は、今の季節、葉が枯れて茶色や
グレーの色あいが中心となっています。

これが新緑の季節を迎えると、むせかえるような緑に覆い尽くされます。
今、霜が降りた地面の下では、新しい命が芽を出す時期を
じっと待っているのです。

私たちの生活もまた同じだと思います。
人間が目にすること、理解できること、想像できることはほんのわずかです。
人知の及ばないところで、宇宙はいろいろなことを創造しています。
そして私たちも知らず知らずにそれに参加しています。

でも、それを目にすることはできないのかもしれません。
あるいはできたとしても、それはめったにないことなのかもしれません。
ですから体験するということはそれだけ貴重なことなのですね。

今日見たテレビ番組で、英国の著名なガーディナー(園芸家)の
女性が語っていました。
「庭作りで一番楽しいのは作っている過程。
出来上がってしまったら終わってしまう。」

そして彼女はこうも言っていました。
「天国はここにある。
生きている普通の時間の中に天国を見つけることが大切。」

85才を迎えて尚、精力的に仕事に励む彼女が、感慨にふけりながら
そう語っている姿が印象的でした。

プロセスの中にこそ祝福があるということを、長年情熱を注いできた庭作り
から彼女は学び、実際それを感じつつ生きているのだと思います。

情熱を傾けられることがひとつでもあり、そしてそれを支えてくれる人がいて
分かち合える仲間がいれば、人生はそれだけで幸福と言えるのでは
ないでしょうか。

日々の生活を丁寧に続けながら、私も私のやるべきこと、
そして情熱を傾けられることを造り上げていきたいと思います。

皆様にとっても、一瞬一瞬が輝く一年となりますように。

心からの愛と感謝をこめて
千鶴
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by lovingangelsnadia | 2009-01-03 11:42 | 日常のひとこま