ドリーン・バーチュー博士公認エンジェルセラピープラクティショナー(R)の千鶴が、天使からのメッセージをお届けします。エンジェルリーディングのセッション等については、私のHPをご覧ください♪


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やがて愛にかわるもの

音楽を聴いていると、一つ一つの音に
色を感じることがあります。
特に生での演奏を聴いていると、そうです。

とても素敵なコンサートに行ってきました。
その時、二つの種類の音楽に触れ、また
二つの種類の「色」を私は感じました。

ある曲は、重厚で決して明るくはないものでした。
人間の闇や、あるいは人生の苦しみなどを
表現したように感じられました。

じっと聴き入っていると
色がどんどん見えてきます。
目を閉じても、開いていても
私の心の中に、その様々な色が浮かんできます。

「悲しみ」
あるフレーズからは、悲しみを感じました。
まるで誰かが、どうにもならない悲しみを抱えて
泣くこともできずに立ちすくんでいるような…。
絶望に近いものです。

そしてその時の色は
淀んだ青でした。
透き通った湖や晴れた空の色とは全く
正反対の淀んだ青です。
深く沈んだ悲しみの青です。

「怒り」
あるフレーズからは、怒りを感じました。
それはとても激しく、強く、全てを破壊してしまうような
爆発的な怒りです。

そして、怒りの色は
くすんだ赤です。
熟れたリンゴや、サンタクロースの帽子のような
活き活きとしたものではなくて
くすんだ赤です。

その両方が交互に、時には重なり合って
曲がどんどん進んでいきます。
そして観客も引き込まれていきます。

ふと私は私のことを考えてみました。
そして、その二つとも、私の中にはある、と思いました。

普段の私はあまり感情の起伏にのまれることは
ないようになったのですが、
人間として生きている限り、感情からは離れることは
できませんし、離れてしまうことは良くないことです。

そして、その感情の揺れは、誰にでもあるものなのです。
外に出すか出さないかは別として。

この「赤」と「青」は感情の揺れのちょうど
対局をなすものの象徴なのではないかと思いました。

「青、悲しみ」が揺れの少ない方だとすると
「赤、怒り」は揺れの激しい方、と言う風に簡単に区別してみます。

でも、それはただ、同じ振り子の揺れ方の方向にすぎなくて
振り子自体はたった一つしかありません。
元は一つ、ということです。

「そうか、どちらも私の中にある、私のもの、なんだ」
そう私が理解した時
二つの色が重なりました。
赤と青が溶け合い始めたのです。
そして
「ああ、そうだったのか」
そう思った時、まるで光が当たったかのようになり
二つの色にそれぞれあった本来の素晴らしい色を覆い隠すような
くすみのようなものは消えました。

そして、その演奏は美しい「紫」色となって
私の中に入って来ました。

紫とは、チャクラの中でも神聖な存在とのつながりを司る
クラウンチャクラの色と同じです。
神聖なものとは、現実からかけ離れたり
人々の感情から逸脱したものではなくて
全てを内包しているもの、全てを知っているものなのだ、
そう感じました。

「悲しみ」も「怒り」もできれば避けたい感情であるのも
確かなわけですが、なくしてしまうことはできないし
そんな風に生きていくことを目指さなくてもいい。
ただ、一緒にいる、共存する、受け入れる
それができれば、その「理解」が光となって
その人間らしい活き活きとした感情を
素晴らしいものに変えてくれるのではないでしょうか。

そして、もうひとつの演奏を聴いていたら
ただただそこからは「緑」を感じました。

優しく包み込むような緑は癒しの色です。
演奏する人が違えば、そして曲が違っても
全く違った色を感じることができます。

緑は私を内側から満たしてくれて
そしてエネルギーと癒しを分け与えてくれました。

そのことを感じることができるのは
本当に幸せなことだと思います。

私たちが感情を飼うのが難しい”暴れ馬”のような
ものだと思っているうちは、豊かな感情を指針にした
人間らしい素晴らしい人生を享受することはできません。

「理解」は闇に光を当ててくれます。

怒りも悲しみも、「理解」することで
それはやがて「愛」に変わります。
全てが私たちの中にあるものだからです。

全ては「愛」に変えることができる、
「愛」は全てを包み込んでしまうものだからです。

やがては愛にかわるもの。

美、とは反対にあるものでさえも
美しいものにかえてしまうことができる力。

それは真実であり、純粋さであり、清らかさであり
私たちの中に確実に存在している力だと思うのです。





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by lovingangelsnadia | 2009-11-28 10:24 | 天使のメッセージ

第5回 
「芸術とスピリチュアルのコラボワークショップ」


★日時: 2010年1月9日(土) 
          午後1時半から午後6時(予定)

★場所: 大阪 梅田 「ギャラリー・菊」
          JR東西線「北新地駅」より徒歩8分
          京阪電鉄、地下鉄「淀屋橋駅」より徒歩7分

★出演: ファシリテーター ATP(R) 千鶴
       音楽       ベース 斎藤草平
                 ピアノ 南野陽征
      いけばな     華道家 喜生
      写真        写真家 佐藤亜弥野

      カードリーディング Maki 、紫苑(しえん)、Kanako、Angel peace


★会費: 10,500円(ワンドリンク、お菓子付き)

★定員: 30名様
            
★内容  年の始めに、この一年を元気に健やかに自分らしく過ごすために

  「今年一年のエネルギーをチャージする!」
               
                    をテーマにお送りいたします!

      今回は大阪の中心、梅田にあります芸術的な雰囲気が漂う
      ギャラリー30件程が軒を連ねる北天満の会場で
      たくさんの絵画に囲まれた中での開催となります。
      一流の絵画、写真、音楽、いけばなとスピリチュアルのコラボを
      満喫してください!


      一年で一番、人間のエネルギーが下がると言われる1月は、
      実は、内省し、春から先の活動期に向けてのエネルギーを整える
      絶好の時期です。

      「人間のエネルギーって何?」
      「私たちはエネルギーそのものです!」
      「あなたのエネルギーはこんなふうに失われている」
      「エネルギーの良い状態、悪い状態」
      「あなたのエネルギーを上げるもの、下げるものを見極める」
      「エネルギーを上げ、自分を良い状態にすることの意味」
      「効果的なエネルギーの上げ方、その維持方法」など。

      とにかくご参加頂いただけでも元気になるプログラムです!
      
      また、毎回ご好評を頂いておりますチャクラをきれいにする音楽
      生演奏、そしてもちろん、リラックスできるジャズの生演奏、
      そして即興演奏に乗せていけばなで表現する
      大自然のパワーも堪能して頂きます。

      そしてさらに今回は、エネルギーをチャージした後

                「直感力を鍛えよう!」   
    

      人生を導いてくれる「直感(ガイダンス)」
      この直感を鍛えることで私たちはより自分らしく生きることができます。
      全ての人に備わっている、この素晴らしい才能を鍛えましょう!

      「直感とは?」
      「直感(ガイダンス)の見分け方」
      「直感をしっかりと受け取るためには?」

      
      以上のような皆さんが一番知りたいと思っていらっしゃる具体的、実践的
      に直感を鍛え、上手に使う方法をお知らせして行きたいと思います。

      
      そして今回は、前回大好評を頂いたスピリチュアルレターにかえて、
      ご参加の方全員にミニ個人セッションを千鶴と4名のカードリーダー
      が共にプレゼントさせて頂きます。

      前回はたくさんの方に人生が好転する奇跡が起こりました。
      次はみなさんご自身がこの奇跡を受け取ってください!

      皆さまと素晴らしい時間をご一緒させて頂き、一つでも多くの祝福を
      受け取って頂けるよう、盛りだくさんの内容で出演者一同張り切って準備
      しておりますので、ぜひお気軽にご参加ください。
                     どうぞお楽しみに♪


                    お申し込みは…

         ①お名前
         ②ご連絡先(携帯番号等)
         ③メールアドレス

            以上をご記入の上、件名を「大阪ワークショップ申し込み
            として頂き、こちらまでメールをお送りくださいませ。

             angel889@loving-angels-nadia.com

                折り返し詳細をご連絡させて頂きます!
           

          ♪ たくさんの方にお会いできますのを楽しみにしております♪
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by lovingangelsnadia | 2009-11-19 11:27 | イベント

私の中の”エドワード”

今回は映画の話です。
ネタばれが含まれていますので、ご注意を!

「シザーハンズ」という、映画を見ました。
見たのは二度目で、最初は公開当時でした。
でももう20年も前の作品なんですね!
びっくりしてしまいました。

なぜまた見ることになったかと言いますと
娘に「一緒に見て~」と頼まれたのです。
大学の授業で見せられたのだけど、途中で時間が来てしまい
「あとは自分で見て」と言われたのだそうです。

でも私は最初あまり気が進みませんでした。
なぜなら、ご覧になった方ならお分かりだと思いますが
この映画すごく切ない話なんです…。
でも、まあせっかくだから、と一緒に見ることにしました。
そして、これがとても興味深いものだったのです。

主人公はエドワード。
まだ20代の若いジョニー・デップが演じています。
このエドワードは町の外れの山の上に建つ奇怪な城に住む、
年老いた科学者が作った人造人間なのです。
髪はツンツンで、服もボンテージのような黒の革製、そして
両手はたくさんのはさみでできています。
だから「シザー(はさみ)ハンズ」
顔色も非常に悪くて、表情はほとんどありません。
歩き方もとっても変。
つまりとても不気味、というか奇抜な容姿なのです。

エドワードのお父さんとも言うべき科学者は、両手を
つけようとした直前に急死してしまい
それ以来お城で一人暮らしをしていました。
だから城から外に出たことも、科学者以外の人間に会ったことも
ありませんでした。

でも、ある日ふとしたきっかけで、
城のふもとの町に住む化粧品のセールスレディ、ペグの家に
家族として迎えられ、新しい生活が始まります。
強引に連れて行かれる、という方がぴったりかもしれません。
善良なこの女性はエドワードを「かわいそう」と思ったのです。

そこで、彼は恋をします。
美しい、その家の娘キムです。
一目惚れでした。

でも、キムには
かなり自己中心的で、押しが強く腕力のある
ボーイフレンドがいました。
ティーンエイジャーの彼女はこの関係を楽しんでいました。
そして突然母親が連れてきたエドワードとは
少し距離を置いて付き合っています。

キムは優しくてピュアなエドワードに
次第に心惹かれていくのですが
自分が風変わりな彼を好きになってしまったことを
なかなか受け入れることができません。
そしてこの同居人のエドワードをキムのボーイフレンドは
忌み嫌い、いつも馬鹿にしています。

彼らが住む町は、同じような家が変化もなく並んでいます。
生活のパターンも同じで、それは個性をなくし画一化された
町並みと同じようです。

そのうちの一軒に住むペグが連れてきたエドワードは
始めは町の人々の好奇心の対象になります。
刺激のない毎日を送る人々は彼のことを知りたがります。

何気なくエドワードが庭の植木の剪定をしたところ
それがたちまち芸術作品になったことで彼は皆に認められます。
ただの植木が犬のかたちになったり、スワンとハートになったり
これが評判になり、町の家々全てからお声がかかり
彼が次々見事なはさみさばきで、どこを見ても同じだった
植木を芸術に変えていきます。

エドワードは、このはさみ(手)を使って、犬のグルーミングも
女性のヘアカットも上手にこなし、
同じような髪型だった、この町の女性たちはどんどん洗練されて
変身していきます。

そして評判は広く外の町にも伝わるようになり
エドワードはとうとうテレビ出演まで果たします。
一躍人気者です。

でも、そんなある日、
キムのボーイフレンドのある悪い企みに加担してしまった
キムとエドワードは、事件に巻き込まれ
結果的にエドワードが全ての罪を背負い、とうとう
警察に連行されることになってしまいます。

それをきっかけにして、人々はエドワードを排除し始めます。
エドワードは人々の好奇心の対象から、憎悪の対象へと
変わっていくのです。
でも真実を知っているキムも、エドワードの責任ではないと
人々に知らせる勇気はありませんでした。
自分に矛先が向くことや、
ボーイフレンドからの仕返しが怖かったのです。
次々不幸な出来事が続き、エドワードは追いつめられます。
そんな中でもキムは、彼女を思い、かばうエドワードに
どんどん惹かれていくのでした。

手が鋭利なはさみでできたエドワードは誰かに近づこうとすると
ちょっとしたことでも相手に傷をつけてしまうことがあります。
エドワード自身も、顔にしょっちゅう傷をつけています。
近づけば近づくほど傷つけてしまう。

ようやく気持ちが通じ合ったキムを抱きしめようとしても
「できない」と言います。
でもキムがそっと彼の手を取り、自分から彼に飛び込んで行き、
ふたりは傷つけることなくしっかり抱きしめ合います。

でも、町の人は彼を許しません。
日を追うにつれ、彼らの怒りはヒートアップします。
異端な存在への恐怖心がそれを煽っているのです。
事実無根の誹謗中傷が飛び交い、
エドワードはどんどん追いつめられます。
何をやっても悪い方向へ行ってしまいます。
人々の非難の対象となった彼には
もはやこの町に居場所はありません。

エドワードはやっとの思いで城へと逃げ帰ります。
でも、町の人は追跡の手をゆるめません。
警察が逮捕しないなら、自分たちが追い詰める、と
皆で大挙して城に押し掛けるのです。

中でも、キムにふられた元ボーイフレンドは
どうしてもエドワードが許せません。
「あんな化け物に負けるなんて!」
そう地団駄を踏み勘違いな復讐をしようとします。
そしてエドワードを殺そうとして
町の人々より一足先に城に入っていきます。
でも、そこにはエドワードに愛を告げに来たキムがいました。
そのことがますます元ボーイフレンドの怒りに火をつけます。

彼の怒りはキムにまで向かって行ったため、
エドワードはこの元ボーイフレンドを殺してしまうのです。
そしてキムはエドワードを守るために、彼も一緒に死んだ、
と押し掛けた町の人々に嘘をつき、そのまま城を去ります。
その後、ふたりが会うことは二度とありませんでした。

なぜ町の人々はエドワードを排除しようとしたのでしょうか。
それは奇抜なもの、変ったものを受け入れることが難しいから?
得体の知れないものに対する恐怖でしょうか。

私はこの映画を見ていて
エドワードとは、人間の中のダークサイドのシンボルなのかな
と思いました。

もし、この町全体を一人の人間の内面だと仮定したらどうでしょうか。
そしてエドワードの奇抜さ、不気味さが人間の誰もが持つ
得体の知れない暗黒の部分だとしたら?

人間にはネガティブな部分も、ポジティブな部分も
いろいろな面があります。
ちょうど、この主人公たちが住む町のように、
きれいで快適で清潔な家々があり、
また一方で、エドワードの住むおどろおどろしい
一体その中がどうなっているのかわからないような城もある。
それぞれは相反するものだけれど、それが混然一体となって
実はひとつの町の景観を作っています。

エドワードが人間の様々なダークサイドの象徴だとしたら
最初は誰でも自分のそんな部分を
ちょっと好奇心で見てみたくなります。
自分の中のネガティブだったり、
暗い部分、知らない部分に興味がない人はいないでしょう。
だけど、そこは近づくと傷つくかもしれないのです。
誰だって自分の中の暗い部分は、できれば見たくない。
知らない、というだけでリスクが大きいと感じます。
そして、そんな部分を好きか嫌いかと聞かれれば
「嫌い」と答える人が多いはずです。

そして、何か都合の悪いことが起こると、それをきっかけに
今度はそれを「悪」だとして排除しようとするのです。
そして、また町の隅のお城に閉じ込めてしまうのです。
まるでなかったことのように。
臭いものにふたをするかのように。

でも、エドワードが町に現れることで
町は確かに変わりました。
変化がありました。
同じ家、同じヘアースタイル、同じ犬、同じ生活。
それに変化が訪れたのです。

でも大きな変化を人々は好みません。
そして都合が悪いものは見たくありません。
エドワードが自分たちに利益をもたらし、
生活に刺激を与えてくれるうちは優遇しました。
その程度なら、彼を認めてやろう、ということです。
そこにいてもいいよ、そのくらいおとなしくしているなら…。

でもひとたび、彼が何かを傷つけてしまったなら
それは決して許されません。
たとえ、その傷がすぐに治ってしまうような小さな切り傷だとしても
人々は「傷ついた!」と大声を上げ、エドワードが「悪」だと責めます。
そして、目の前から消えろと追いつめるのです。

でも、エドワードがキムの元ボーイフレンドに致命傷を与えたのは
その元ボーイフレンドがエドワードを殺そうとしたからです。
そうしなければ、エドワードは近寄ることで多少の傷をつけたとしても
決して命までは奪おうとはしません。

そしてエドワードが時々城からおりてきても、
私たちがエドワードの存在を認めていて、
力で彼を排除しようとしなければ
町並みに変化が訪れ日々の生活の色合いが変わる等によって
そこに少なくとも「ある個性」が出現するだけのことなのです。
そして個性は「悪」でも「善」でもありません。

さらに、画一化された町並みに、奥行きを与えているのが
町の隅にある、エドワードの城であるのも確かです。
それはちょっと恐怖を与える景観かもしれません。
でも、このことで町が様々な表情を持つことができるのです。

それに、エドワード自体はとてもピュアでおとなしい存在です。
そのことに本当に気がついたのは、彼を受け入れたキムでした。

私たち人間も、これと同じなのかな、と思いました。
いろいろな面があるからおもしろい、それが個性。
誰一人として同じ人間はいない。
いろいろな面によって唯一無二の景色を創ることができるのかなと。
つまり町全体が、全体としての自分なのですね。

私の中のエドワードは、しょっちゅう私の住む場所に来ます。
そしていろいろとやってくれます(笑)
でも、私は、このエドワードも、エドワードの住むお城も
私を構成している一部だと認めようと決めています。
だから私はエドワードが現れても、無視しません。
でも取り立てて彼を重用することもありません。
ただ、エドワードが「いる」姿を見つめています。
そうすると、エドワードはエドワードらしさを発揮した後
自分で城に帰っていきます。

彼が去って行った後を見てみると、自分の中のエドワードが
どんな特徴があるのか、とてもよくわかります。
それを見て落ち込む時もありますし
へえ~~とかなり冷静に眺めることもあります。

エドワードは私のすべてではありませんが
一部であることは確実なのです。
だからできるだけうまく付き合いたいと思っています。
つまりエドワードは私なのです。

だから私は最近、自分の中のエドワードを抱きしめようと思っています。
確かに「嫌だな」と思ったりもするし、抱きしめるには
ちょっとした工夫も多少の勇気も要ります。

だいたい私の中のエドワードはジョニー・デップのように
ハンサムではないでしょうし…(笑)

でも時々は抱きしめることができるようになりました。
けがをしてしまうかもしれないけど
そっと近づけば大丈夫。
はさみがあったって、刃の部分をうまく避ければ彼自身は何もしません。
確かに傷ついたら血は流れるけれど、その傷は必ず癒えます。

この映画の原案を作ったティム・バートンが
私の感じたように意図したかどうかわかりません。
でも、もし同じだとしたら、ティム・バートンは自分のダークサイドと
どうやったら付き合えるか、彼らをどうやったら
自分の中で良い形でいかせていけるかを、
ずっと考えているのではないかと思いました。
ティム・バートンはつまり、映画製作を通じて
自分を愛そうとしている人なのかもしれません。

そして、城に逃げ帰ったエドワードを心配して追いかけて
守ろうとしたキム。
驚いたエドワードに「愛してる」と告白した時の彼女が、
一番たくましく美しく見えました。
キムはエドワードを愛していることを認めることによって
きっとバラバラになっていた自分を一つにまとめることが
できたのだと思います。
だから、愛する人を守る力が生まれたのでしょうね。
人は分裂してしまった自分を調和できたときに
初めて人を助けることができる力を得るのですね。

だから私は、多くの人がこの映画を見て感じる「切なさ」は
自分が大切な自分自身のある部分を否定してしまう
「悲しさ」「切なさ」に繋がってもいるのかしら?と思ったのでした。

それにしても、ひとつ疑問が。
ピノキオもそうですけど、そしてフランケンシュタインもそうですが
どうして男性の作る人造人間って、男性ばかりなんでしょうか?
どうして男性科学者は、女性を作らないのでしょう?

文化人類学でも、古典でも、心理学でも何でもいいので
どなたか頭の良い方でご存知の方がいらしたら
教えてくださいね。

でもまあ、映画は普通に楽しく見るのが一番ですよね!
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by lovingangelsnadia | 2009-11-03 19:55 | 天使のメッセージ