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ドリーン・バーチュー博士公認エンジェルセラピープラクティショナー(R)の千鶴が、天使からのメッセージをお届けします。エンジェルリーディングのセッション等については、私のHPをご覧ください♪


by lovingangelsnadia
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カテゴリ:エンジェルセラピー( 91 )

勇気と自尊心

誰でもひとつくらいは、苦境に立たされた時に
人から助けられた思い出があるはずです。

もう無理だ、ダメだ、と追い詰められた時に
誰かの手が差し伸べられると、本当に救われた
思いがするものです。

私は数年前、一番苦しい状態の中でそれを
体験しました。
身内にさえ見捨てられ、その夜泊まる場所さえなく
一人車で行く宛てもない失意のまま、さ迷っていたとき、
全く見ず知らずの人に救われました。
とある公的機関の方でした。

その人が私に何も聞かずに、自分のところに
来るように、何も心配はいらないと、傷つき一人ぼっちに
なってしまった私に声をかけてくれたことは
生涯忘れることはできないでしょう。

夏の初めの朝のことでしたが、着の身着のままで
飛び出して来た私の軽装を見て、たった一言
「寒くないですか?」と聞いてくれたことが
その時の私には暖かい食事よりも、身体に
染み渡りました。

そして、そのすぐ後に、その方から紹介された
ある女性ソーシャルワーカーのお二人も
本当に素晴らしい方たちでした。

身体も心も傷ついた私に対して、彼女たちは
「あなたにはやるべき仕事がある。
あなたは立派に自立した人間なんですよ。」
と言ってくれました。
何もかも失くしたと思っていた私に
忘れかけていた自尊心を思い出させてくれたのです。

私は苦境に立たされた時に、地上の天使に救われたのでした。
天使は地上にも存在します。
日常に奇跡は起こっているのです。

そして、今、平和な毎日を送るようになった私は
かつて自分がしてもらったように、誰かに対して
見返りを期待することなく手を差し伸べることができて
いるのかと時折、自分に問いかけています。

私たち人間が、人に対して手を差し伸べることを躊躇する時、
それは他ならない、何かに対して恐怖を感じているから
ということが原因でしょう。

手を貸したら、もっと要求されるのではないか、
自分の立場が危うくなるのではないか、
周りから変な人だと思われてしまうのではないか、などです。

私をかつて救ってくれた方々は、皆さんが自分の
仕事に誇りを持ち、自立した人でした。
彼、彼女には確固たる自信が感じられました。
だからこそ仕事としての枠を超えて、
私を励ますことができたのでしょう。

それができるのは、つまり人に対して、どんなに尽くしても
何かを奪われるかもしれない、などとは心配しない程
強い信念と自尊心が彼、彼女らにはあるからです。
人の役に立つことをしたいし、手を差し伸べることが
当たり前だと考えているのでしょう。
それが私に、規則を越えて手を差し伸べる勇気に繋がったのです。

マザー・テレサも、とても自尊心の強い信念の人でした。
おそらく、ダライ・ラマも同じでしょう。

無私無欲で人に対して尽くすためには
確固たる信念がなければできません。
山をも動かす信念です。

しかし、それはゆるぎない自尊心から来るものです。
自分を見失っていたり、自分の感情の中心が常に
他者へ依存している場合には、そのような
強い信念が生まれることは難しいでしょう。
与えるためには、与えるものがなければなりません。
愛とは、自分の内側から生まれてくるものだからです。

健全な自尊心は、身体の中心から人を支えます。
それは自分自身に対する愛です。だからこそ、それは
他者への惜しみない愛情を注ぐ基盤になるのです。

そして自尊心とは、決して他者との単純な比較や
一時的な満足感、物質的な優位から来るものではありません。
それは私たちが神聖なものとのつながりを
感じるとき、信じるとき、信じている自分を
信じることができたときに確立されるものです。

私たちの内側から湧きあがったものは
私たち自らが、すすんで手放そうとしない限り、
どこにも行かず、誰にも奪われることはないのです。

もし、私たちが人に対して優しくできないとき、
わかっていても手を差し伸べられないとき、
そんな時は、私たちが自分自身への愛情を失っている
のだと言えるのではないでしょうか。

でも、思い出してください。
私たちが内側から手に入れたものは、私たちが
それを望まない限り、決して誰かに
譲り渡してしまえるようなものではありません。
しっかりとそれを手にしたとき、それは私たちの中心に
ゆるぎない形で存在しています。

それは神聖なものとの絆であり、
自分自身との絆でもあると思うのです。
by lovingangelsnadia | 2008-08-28 17:46 | エンジェルセラピー

私だけの・・・?

新しい素敵なものを見つけました。
たぶんとっても素敵なもの。

でも、それはまるで生まれたての赤ちゃんのようで
顔つきもはっきりしていないし、将来どんな姿に
なるのかも今はまだわかりません。

それにどんなふうに私の人生に関わってくるのかも
どんなかたちになっていくのかも、
今は全くわかりません。

ただ、私の中には、漠然としてはいますが
とてもキラキラと輝いているのです。

夢の中で、それを抱きしめながら列車に乗っている
自分の姿を見つけました。
一生懸命それを抱きしめている私がいました。

とても興味深いし、もっと知りたい、もっと近づきたい・・・
そう思っても、やっぱりちょっと怖い。

何だって初めはそうなんだろうな。
だから面白いし、やりがいがあるし、わくわくするんでしょう。
でも、すご~くドキドキするっ!

きっとそれは私だけの宝物。
それをいつか自分と関わる大切な人たちと共有したい。
それを夢見ています。

今年は、私にとって、そんなギフトを二つも見つけた
記念すべき一年になりました。
ひとつは、もうすでにこれをご覧の皆さまとも
共有することができました!!!!
感謝です。
(それは何でしょう。ふふふ。クイズみたい♪)

私たちは皆、惰性で生活することに慣れていて、
思考も惰性で動いてしまっていることが多いのです。
だから、人間は変化が苦手。

新しいことが怖いのは仕方ないのかもしれませんね。

でも、シャーリー・マクレーンが「アウト・オン・ア・リム」
で書いていたように、
”果実は崖のギリギリのところになっているから
危険を冒して取らなければならない”のでしょう。

大胆な発想と行動力は大切ですね。
でも、ちゃんともう一人の自分が、自分を観察するように
冷静に見つめていることもまた、変化の時には
大切なんだな、と強く感じています。

崖のギリギリのところになっている果実を取るために
危険を冒すからといって、わざわざ落ちる必要はないわけです。
(時には、落ちてしまうこともあるかもしれませんね。でも
その時は頑張って、また登ってくればいいわけです。)

未知のものはワクワクするけど、怖い。
だけど、ちょっとだけ手を伸ばしてつかんでみたい。
そうしてみたいから。

そしてもし、自分にとって「違っていた」と感じたなら
その時は潔く撤収してこよう。
そしてまた、新たな未知のものを探していこう。

平気、平気!
チャンスはいくらでもある。
時間はたっぷりある。
私はひとりではない。
心にわいてくる暖かい何かを大切にしながら
前を向いて行きましょう♪
by lovingangelsnadia | 2008-08-24 18:05 | エンジェルセラピー

魔法の言葉

今回は”シンクロ”と”出会い”のお話を・・・☆

数週間前から、とても気になっている言葉がありました。
それは
「Magic」です。
エンジェルカードにももちろん何度も出てくるし、
私の中のガイダンスでも何度も何度も繰り返し登場する言葉。
「Magic」

でも私にはそれが具体的に何を指すのかが
さっぱりわかりませんでした。
焦っても意味がないことはわかっているので
「そのうちに降りてくるだろう。」と
待っていることにしていました。

ガイダンスを受け取るには、神聖なタイミングを
忍耐強く待つこともまた、とても重要なのです。

待っている間に、またインスピレーションが湧いて来ました。

「Magic」
それは短くてシンプルで素敵なこと・・・

う~~~ん、なんなんだ????
当たり前のことではあるのですが、考えても考えても
全く思いつきません。
そして結局は、やっぱり「待っていよう。」という
結論に落ち着くのでした。

そしてつい最近、某所でとある発言を耳にしました。
ちょっと用を足している私の背後で、ある方が
「おい、ハワイってすごいぞ!」
仲間内の会話の中での発言ですが、
そう言っているのが聞こえました。

その方は、普段は常に酔っていて(笑)
まともな会話が不可能なファンキーな人なので
まじめにハワイの良さを語っていることに私は
関心を持ちました。
「へえ~、ハワイねえ。。。」

そして、その翌々日。
本当に突然思い出し連絡をして、突然再会することになった
ある方がいました。
彼女は病気を患っていたので、私は会うことになるなら
絶対に本をプレゼントしたい!と何故か強く思っていて
ある本を用意しておりました。

でも、プレゼントした私に対して、彼女からも
本を貸してくれることになりました。
「自分が読み古しているので、プレゼントはできないのですが・・・」
ということでした。
でも本好きの私は、非常にあり難くお借りすることにしました。

その夜の私は、ちょっと悶々としている気分もあったので、
なんとなく帰りのバスの中で気分を変えるべく読んでみようと思い、
お借りした本のページを繰っていました。

そこに書いてあったのは・・・

『人生を変える魔法の言葉がある。
それは
「I love you. Thank you. Please forgive me. I'm sorry.」』

というものでした。

「ふう~~~ん。」と、その時の私は漠然としたものを感じ取っていた
だけでした。

帰宅して、昨年に受け取ったメールを、偶然に見ることがありました。
そこに書いてあったのは
「Thank you. I love you.」でした。
私はここ最近、こんな素敵なメールを受け取っていたことを
忘れかけていたのです。
そのメールに込められた暖かなものを改めて感じていると、
先ほど借りて読み始めた本と
そして数週間前から受け取っていたガイダンス、そして
様々なシンクロが、ようやく繋がったのです!!!

短くて、シンプルな魔法の言葉。

それは

愛しています I love you.
ありがとう Thank you.
どうぞ私を許してください Please forgive me.
ごめんなさい I'm sorry.


これだったんだ!!!
こんなに美しくて、シンプルで、真実の言葉ってあるのでしょうか。
まさにこれぞ Magic!!!
それも素敵な、身近な魔法です。

そして、この本の中に書いてある様々な奇跡も私の心を
捕らえました。
素晴らしい本に久しぶりに巡り会ったことを、心から感謝しています。

そして、私自身が、素敵な奇跡の中で生きてこられたことを
感じることができました。
たくさんの愛と感謝の中で、私は毎日生活しているのです。
そんなことを思い出させてくれる本でした。

皆さまもぜひ、よかったら書店で手にとってご覧になってみて
ください。毎日本ばかり読んでいる、本の虫の千鶴ですが
その私の久しぶりのお勧めです。

ジョー・ヴィターリ著
「あなたを成功と富と健康に導くハワイの秘法
ゼロ・リミッツ」
(となりの枠→の”ライフログ”から検索できます。)


皆さまに理解を超えた平穏を・・・
そしてたくさんのシンクロと奇跡が降り注ぎますように!
by lovingangelsnadia | 2008-08-19 16:38 | エンジェルセラピー

傷ついた心を癒す

先月は、私にとってミディアム(霊媒)としてのお仕事が
重なった月でした。

これは仕事ではないのですが、私が三歳の時に亡くなった
非常に可愛がってくれた祖母(血の繋がりはありません)
が、頻繁に私のところに訪ねてくるようになりました。
(この祖母の記事は以前ブログにアップしてあります。)

主に夜間なのですが、非常に頻繁にやってくるように
なっていました。
最初は何か言いたげにうつろな感じで、そのうちに
私の方から話しかけると、ぽつりぽつりと心情を打ち明けて
くれるようになってきました。

それは私も家族も知らないような、祖母の若い頃の話でした。
主に、傷ついたこと、不本意だったこと、残念だったこと・・・
などの心残りがある部分についての話でした。

そして幾日か経ったある晩に、祖母は私に向かって
「千鶴、身体を貸してくれないか。」
と聞いてきました。
私は即座に
「絶対にダメ。それに嫌です。それだけは聞けない。」
そう答えました。
祖母は甘えるように何度か頼んで来ましたが
それでも、そのたび私は丁寧に、しかしきっぱりと断り続けました。

祖母の話を聞いていると、どうやら若かった頃に自分では
成し遂げられなかったことを、今私の身体をかりることによって、
もう一度体験したい、やり直したいと思っているようでした。

祖母は明らかに自分の人生を悔やんでおり、そのために
傷ついていて、だから天国へと行かれないのです。
自らの執着で、この世とあの世の間のような場所に
とどまることを選択してしまっているのでした。

あまり私の記憶には残ってはいない祖母ですが、家族から
私は溺愛されていたと聞かされて育ちましたし、
こうして大人になって、とても普通とは言えないかたちなの
でしょうが、毎晩のように祖母と対話するようになって
私の中には祖母に対する深い愛情と同情と共感の思いが
育まれていました。

そして一人の女性として、祖母の後悔、無念さは
本当によくわかります。
私の身体を(例え誰であろうとも)貸すことなどはできませんが
要求してきた彼女の気持ちも痛いほど伝わってきます。

私にできることは、自分の仕事で行っていることを
祖母に対しても、愛情と忍耐を持ってやっていくことでは
ないのかと考えました。

普段、稀に除霊のようなことをするときもそうなのですが
私は大天使と協力して、辛抱強く、その霊魂と対話します。
つまりネゴシエーション(交渉)をするのです。

それには強い信念と、深い愛情と、忍耐が必要です。
すぐに結果が出るとは限らないからです。
傷ついた心を癒すということは、そういうことだからです。

肉体を持っているか否かということは、ほんの現象に
過ぎず、人間の魂、精神、心というものは不滅で不変で
あると考えています。
ですから、私が仕事で行っているヒーリングというものを
亡くなった人に対しても同じようにできるのでは
そう考えました。

祖母とは何度も何度も対話しました。
根気強く、丁寧に、愛情を持って、何度も何度も。

祖母は祖母なりに頑張って生きてきたこと、何も間違っては
いないこと、もう休んでいいのだということ、
たくさんの人に愛されていること、
自分で自分を癒せるのだということ。

最初は聞く耳を持たない感じのときもありましたが
続けるうちに、本当に穏やかな顔になりました。
途中からは、まるで子供のように素直でした。

そして最後の晩のこと。
祖母はとても若々しい姿で、非常に穏やかな顔で
いつものように着物を着て、私の実家のいつもの場所に
座っていました。
何も言いませんでしたが、私には祖母が完全に癒されて
納得して旅立つ準備ができたことがわかりました。

そして最後に私の2匹の猫達に、愛おしそうに頬ずりして
満足げに消えていきました。
私の猫達も全く怖がる様子もなく、むしろ喜んでいました。

これからはいつも座っていた実家のある場所に
彼女が悲しげに座ることもないでしょう。
祖母は亡くなってから約40年かかって、天国へと
安らぎの場所へと旅立ちました。

そしてこのことは、私の家族の気持ちも癒してくれました。
実の息子のように可愛がられていた私の父は
祖母がようやく天国に行ったことで安心しました。
私自身も、忙しい両親に代り、我が孫のように育ててくれた
祖母に対して少しは恩返しができたようで、本当に嬉しかったです。

傷ついた心を癒すということに、あの世とかこの世とか
そういうことは全く関係ないのだと知りました。
そして、どちらかを癒せば、片方も癒されるのです。
つまり、亡くなった祖母が癒されることによって
こちら側にいる私たち家族も癒されました。
関わった全てが、瞬間にして癒されるのです。

それが癒しの持つ力であり、愛の本当の姿なのでしょう。

祖母の癒しは、祖母が自分自身を受け入れる、そして
過去の全てと自分自身を許すことで起こりました。
祖母は不器用で、でもとても愛を求めている普通の
かわいい女性でした。
それはもしかすると私だけが知っていることなのかもしれません。
私はこの祖母が本当に大好きです。

そして天国へと旅立った今も、いつも私の心の中にいて
暖かい思いを注いでくれています。
私も祖母にたくさんの愛を教えてもらいました。
祖母は、癒しの力、愛の本当の姿というものを
私たちに示してくれたのです。
by lovingangelsnadia | 2008-07-22 11:53 | エンジェルセラピー

”出来事を超える”


梅雨の季節ですが、皆さまいかがお過ごしですか?
私は自分の内面の変化に伴って、それなりに忙しい
毎日を送っている、と言った感じです。

この時期、外に出かけられないことを残念に思うより、
家の中でゆっくり読書したり、考え事をしたり、体を休めることに
時間を使うのも、また楽しいことですね!

前回の記事でもご紹介した、来月の新しい形の
ワークショップの企画中にも、ずっと考えていたことなのですが
人間は一体どんな状態でいることが嬉しかったり
辛かったりするのだろう、ということです。

魂は不滅であり、永遠であるならば、何が真実なのか
何が真理なのかを捜し求めていくのが人生なのでしょう。

でも、人間は普段の生活の中でしばしば自分を見失います。
それは目の前の出来事に左右されて、感情の波に流されて
しまうからです。

何かの出来事が起きたとき、何かしらの感情が沸き起こるのは
自然なことで、これを押し込めることは人間性を否定する
ことにもつながります。

ただ、これにいつまでも縛られて、左右され、
支配されて続けることは決していいことではありません。
私達の意識の持ち主は、エゴではなくて、私達の本質
そのものであるべきなのです。
つまりそれは”愛”です。

何かの出来事が起きたとき、それをまた別の視点から
見つめることはできないでしょうか。

例えば、何らかの不本意な出来事が起きてしまったとき
そしてそれには、誰か別の人が絡んでいて、あなたは
とても傷ついた気持ちになったり、悲しい気持ちになったり
拒否された気持ちになったりしているかもしれません。

相手を責めたり、あるいは自分を責めたり、相手に対して
申し訳ないとの贖罪の気持ちが高じて、最後には
自己嫌悪してしまうかもしれません。

そんなときには、もっと自分の感情を見つめてみたら
どうでしょうか。

「どうして今、この出来事が起こったために私は
悲しくなったのか、怒りが湧いたのか。」
何かしらの出来事の背景には、たいてい人間関係が
絡んでいます。
ですから、多くの場合私達は、出来事の人間関係ばかりに
足元をとられて、その時の自分自身の感情を実は丁寧に
扱っているとは言えない状態なのです。

つまり、
「どうして、あの人はあんなことをしたの?言ったの?」
と誰かの感情に焦点を当てることに時間を費やすのです。
その時の”私”ではなくて”誰か”の感情です。

自分以外の人の感情に焦点を当てている限り、私達は
自分自身の感情を癒すことはできません。
つまり、感情の波に流され翻弄され続けてしまうのです。

それを断ち切れるのは、自分自身のその出来事に対して
反応した”自分の”感情を細かく丁寧に見てあげることだけです。

あなたが悲しくなったのは、相手を好きだからかもしれません。
認めてもらいたかった、受け入れて欲しかったからかもしれません。
大切な人間関係だからこそ、あなたはひょっとすると
とても過剰に反応してしまっただけなのかもしれません。

あるいは、相手があなた自身の持っている、あなたが嫌悪している
部分をみせつけてきたからなのかもしれません。

もしかすると、あなたが一番恐怖している部分を見せられたから
なのかもしれません。

それがわかれば癒されます。
相手の対応は実は問題ではないのです。

これが”出来事を超える”ということです。
私達はいつでも丁寧に自分自身を見つめることによって、
出来事の向こう側に行くことができます。
出来事自体に左右されないのです。
そして、そのことの本当の意味を知ることができます。

その出来事での、誰かの言動、態度などだけを追っていたら
決して理解することのできないような真実を知ることができます。
これ自体は決して論理的なことではありません。
しかし、そこにこそ、出来事の真実が隠されているのです。

私も先日、ちょっとした出来事に遭遇して、少しの間
とても考え、どうすべきかを思案しました。
でも、一番わからなくなっている時、渦中にあるときにこそ、
本当のことが見えてくるのだと思いました。

冷静に自分と出来事そのものを観察し、関わった人を
観察し、自らの感情を丁寧に調べました。
そして、一見すると楽しくはない出来事が
たくさんの愛を伝えていることに気が付きました。

実際に起こった出来事だけを見ていては、そこだけに
とらわれていたら、決して触れることのないものでした。
一番楽しくない経験からでさえ、
真実の愛を感じ取ることができるのです。

私達にとって一番大切なのは、将来、あるいは何かが準備できた
時にやっと幸せになれる、ということではなくて
”今この瞬間に幸せである”、ということです。

それには自分自身を見つめて癒すことが欠かせません。
そうすると、今この瞬間に、あらゆる場所に出来事に
どんな人の中にも、愛と真実を見つけることができるのです。
by lovingangelsnadia | 2008-06-20 21:15 | エンジェルセラピー

うるましま ”屋久島”


休業中の4月中旬、一人、屋久島へと行って来ました。
屋久島は九州・鹿児島から船で2時間半。
お隣の種子島を経由しての船旅です。
私の乗った午後の便は地元の方で満席。
曇り空の中を出航しました。

船の中では、隣の席に座った種子島生まれ種子島育ちの
おじいちゃんに話しかけられて、お孫さんの自慢話や
かわいい写真を見せてもらいながらの楽しいひとときでした。

鹿児島港を出てから約一時間半で種子島到着です。
おじいちゃんに「一人旅楽しんできてね。」と励ましてもらい
ここから先は本当に一人です。

船の中は、ほとんどの人が種子島で下船してしまったようで
がらんとしています。
200人乗れる船に、残っているのはわずかに10名程度。
少し寂しくなった中で、うとうとしながら更に一時間ほど船に揺られ
屋久島到着のアナウンスで目を開けると
船の先方のガラス窓には、ぽっかりとまるで海に山がそのまま
浮かんだような屋久島、その姿がありました。

激しい雨と、どんよりした雲に覆われている上、その姿は
水上から見るのにはあまりにも大き過ぎて、
とても全景を目にすることはできないのですが、
確かにこの山々の一番奥には、九州で最高峰、
あの阿蘇よりも高千穂の峰々よりも高い宮之浦岳が
そして、あの神秘的な森が私を待ってくれているのです。

上陸してすぐ、レンタカーで夕方から夜にかけての島を運転していて
道に迷ってしまい、ヤクシカの歓迎を受けるハプニングも
ありましたが、なんとか無事に宿に到着しました。

宿は磯に面していて、岩に波が当たる音、そして
何の動物かはわかりませんが、悲しげに遠く低く鳴く声と、
そして屋久島特有の激しい雨の音の中で眠りました。

次の日は朝の4時に起床し、いよいよ念願の縄文杉登山です。
初めての一人旅、初めての登山です。
真っ暗な中を出かけていくのに不安がありましたが、
だんだん明けてくる夜空と共に期待が大きくなっていきました。

登山者専用のおにぎりだけを置いているお弁当やさんに
立ち寄り、しっかりと朝食、昼食を準備して、いよいよ入山です。
朝の6時だというのに、町から1時間も車で上った先にある
登山口の小さい駐車場は満車です。
ここでも、たまたま目の合った地元ガイドのおじさんが
とても親切に車の止め方など教えてくれて順調に出発できました。

遅くとも午前7時までには出発するように、目指すは樹齢約2000年
の縄文杉のある標高1300メートル地点ですが、そこに昼までに
到着できなければ、諦めて必ず引き返してくるように。
そして午後5時には、この地点に戻ってくるように。

そんなことが書いてあるたて看板を見ながら、いよいよ出発です。
グループで登る人達がほとんどで、その人達が雇った
地元のガイドさんの説明している横を通って一人歩きだしました。

まず昭和30年代に、山から杉を大量に切り出していた頃使っていた
木材や人を運搬するためのトロッコの軌道上を8kmほど歩きます。
単調ですが歩きやすく、自分のペースで進めます。
歩くことはとても好きなので、楽しんで行けそうです。

雨が時折降ったり止んだりしています。
途中大きな川が流れていて、いくつかの手すりのない橋を渡るのは
高所恐怖症の私にとっては、かなりの冒険でした。
腰を低くして、下を見ないように進みました。

空は雨のせいか、まだほの暗く、景色もぼんやりとしています。
ただ、雨雲の向こうには、力強くそびえたつ山々が
時折顔をのぞかせてくれました。

そして山肌を美しく彩るように、まだ花をつけた桜の木や、
鮮やかな色の花のつつじの大きな木が、緑の中で
コントラストを描いています。

森を抜け、滝の脇を抜け、くねくねと、時にはどこまでも続くように
まっすぐにトロッコ軌道は走っています。
高低差もきつくはないので、ちょっとしたハイキングコースのような
道のりでした。

ようやく大株歩道という、登山口までたどり着きました。
ここからは本格的な登山となります。
入り口脇の狭い休憩スペースで
普段は食べることの無い、チョコレートを口にして休憩します。
まるでその甘さが体を潤してくれるようです。

さすがに8kmを延々、ほぼ休憩なしで歩いてきたので
体も疲れてきました。
ここで、更におにぎりをひとつ食べ、水分を補給し、ゆっくり
座ることにしました。
私が座っているのは、狭い休憩所で人が思い思いに休む中、
トイレのマンホール上だったことに気が付いたのですが
何故か全く何も気にはなりませんでした。
ここから始まる本格的な登山と、待ち受けてる景色と
ちゃんと辿りつけるのかどうかということで、多少緊張していた
せいもあったかもしれません。

栄養を補給して、更に山へと分け入ります。
いきなりそこには、斜め45度はあろうかという階段が待っていて
かなりびっくりしました。
ここからは約一時間をかけて、2kmの道、高さにして400mを
一気に登っていくのです。
かなりのハードな道行を覚悟しなければなりません。

手を使わなければ登れないような岩場や、
すべる斜面をロープを伝って登っていく場所や、
小さなステップの急な階段が延々続いてるところもありました。

雨は相変わらず降っていて、気温は標高が上がるにつれ
下がっているようでしたが、私に聞こえるのは自分の呼吸の音と
そして私に見えるのは目の前の登るべきステップだけです。
とても周りを気にする余裕はありません。
雨の中、不安定な足場を確認するだけで精一杯です。

ところどころ難所、急所がありましたが、なんとか馴れてきて
少し平坦に近いところや、歩きやすい場所もあることに
気が付きました。
そして夢中で歩いていてわかりませんでしたが、私は
この屋久島の深い森の中で、たった一人になっていたのです。

時間はまだ充分あるようです。
立ち止まって、周りを見渡してみました。

私と屋久島の深い森の木々、そして鳥のさえずり、雨の音
それだけがここにあります。

深い森は、雨のために霧に包まれていて、とても幻想的です。
一人ぼっちは少し怖かったのですが、森を感じていると自然に
笑顔になっていました。
どこから湧いてくるのかわからないのですが、喜びを感じていて
自然に笑ってしまうのです。

近くに樹齢1000年はあろうかという、大きなまっすぐそびえたつ
杉の木があったので、話かけてみました。

「あなたは本当にすごい!
1000年もここにこうして、ずっといたのね!
どうして、そんなことができるの?教えてください。」
大きな杉の木は答えてくれました。
「あなたがあなたでいるから。
あなたがあなたでいる限り、私もここにいられるのです。」

「私が私でいる限り?
私達は繋がっているっていうこと?」
私は再び尋ねました。
「そう、私達は繋がっているのです。
だからあなたがあなたでいる限り、私も私でここにいられる。」

「おかえりなさい。」

どうしていいかわからないほど、涙が次から次へと溢れてきました。
私とこの杉の木は繋がっている!
この森も、動物も、空も、雨も、雲も、すべてが繋がっているのです!
どうして今まで私はそのことに気が付かなかったのでしょう。

さっきまで、ちょっとうっとおしかった雨も、今は私を優しく包んで
抱きしめてくれるようです。
雨がこんなに優しかったなんて、初めて知りました。

更に近くにあった大きな木の根元に生えているコケを触ってみました。
不思議なことに、これだけの雨を受けながら、青々としていて
手で触れても、すぐに乾いてしまうくらいさらさらとしています。
私は、どうしようもなくなるくらい喜びを感じていて、思わずその
コケの中に顔をうずめてみました。

暖かくて、やわらかくて、優しい感触。
また「おかえり」と言われたような気持ちでした。
そして私は
「帰ってきたよ、帰ってきたよ!」
そう心の中で叫んでいました。
このままずっとここにいたい、この森を感じていたい、
そう強く強く思いました。

こうして通り過ぎる登山者を抜けて一人になると、
ペースを落としては森を感じていました。
木の幹の大きな懐に入り、柔らかな土と根っこの上に腰掛けて
雨宿りをしながらお昼を取りました。

誰もいない森。
聞こえるのは鳥のさえずりと、そして雨の音だけ。
深い深い海の底のような静けさです。
ここは数千年の巨木と、数々の植物と、
その恩恵を受けて暮らす動物達の森。

そして、ひとりここに座っている私は
これらすべてと繋がっているのです。
そう、私達はすべてと繋がっているのです。

私はひとりではない。
そして、何からも切り離されてはいない。
私達はすべてと一体なのです。

体と心に優しく染み渡っていくような雨、
そして巨木たちの声なき声。
すべてが私を包み込んでくれています。
抱きしめて癒してくれているのです。

なぜなら、私達は誰一人として例外なく繋がっているから。
まるで私も、この森の木々の一部のように、自分の
足で移動はしていても、大地にしっかりと根を張って
立っているかのようにさえ感じられました。
すべてを私は全身で受け止めました。

そして自分のペースで更に歩を進めました。
念願の樹齢約2000年の縄文杉もしっかりと、この目で見てきました。
急な斜面にそびえたつ巨大な杉。
そこにいたのは、計り知れないほどのパワーと、そして
信じられないくらいの優しさを持ったまさに”生き物”でした。
この杉は何千年にも渡って、同じ場所で全てを見てきたのです。
ずっとずっと同じ場所で。

喜びと感動に震えながら、森の中を歩いた往復20km
時間にして約8時間の道程でした。
私にとっては生涯のうちでも忘れることのできない体験でした。

次の日、鎌倉へ帰る前に、海亀が産卵に来るという
ラムサール条約で保護されている浜辺へと行ってみました。
約1km続く珊瑚の白い美しい浜辺です。
5月になると、たくさんの赤海亀が産卵に上陸する貴重な浜です。

誰もいない浜辺でぼんやりしていました。
陽射しは初夏を思わせるように、熱くなってきました。
午後の早い時間は、観光客もなく、私一人の時間です。

青い海と白い浜辺、そして青い空。
あるのはただそれだけ。

「ここには何もない。」
そう思いました。でも同時に
「ここにはすべてがある。」
そう感じました。

完璧です。
ここは地上の楽園です。
青い海、青い空、白い浜辺、背後には深い森。
ゆっくりとした波の音と、鳥のさえずりだけ。

なんて美しいのだろう!なんて美しいのだろう!
何もないって、本当に美しい。
ありのままって、本当に美しい。
ありのままって、本当に素晴らしい!

ここにあるのは、自然のありのままの姿だけなのです。
それ以外は何もない。
それが美しいのです。
ありのまま、それがすべてなのです。
ありのまま、それはすなわち完璧な姿であるのです。

感動して涙していましたが、すぐに悲しい涙に変わってしまいました。

どうして世界は屋久島のようではなくなってしまったのだろう。

私達は「良くなりたい、成長したい。」そう思って
頑張ってテクノロジーを発達させてきたはずです。
進化への思いは純粋だったはずです。

でも今の地球を見ていると、もしかして私達は間違ってしまったのかも
しれない・・・そう思うと泣けてきました。

この屋久島だけが屋久島であるのはおかしい。
世界は屋久島のように戻れるはず。
私達のいるところすべてが、この屋久島のようにありのままで
美しい姿を保ち続けるべきなのです。

そのことを考えながら、帰ってきました。
私に何ができるだろう、何をすればいいのだろう、と。

まだ答えは出ていません。

でも、私が屋久島で取り戻した、すべてのものとの「一体感」、
そして 「ありのままでよい」という真実を
私が関わるすべての人と共有したい、そう思っています。

今も目を閉じると、あの屋久島の森へと帰っていくことができます。
「うるましま(美しい島)」古代の人々は屋久島をこう呼びました。
美しい島、屋久島。

私に、人間も、自然も、すべてのものが一体で、そして
ありのままでいいのだと教えてくれた島。
まるで恋をしてしまったかのように、私の心はこの地で
体験したことで満たされています。



『お知らせ』
長らく休業させていただきありがとうございました!!!
パワーアップして帰ってきました!
ブログも新装開店です♪
またぜひ、遊びに来てくださいね!

メールのお返事などは、明日より順次お送りいたします。
お待たせして申し訳ございませんでした。

皆さまに心からの愛と感謝をこめて
千鶴

by lovingangelsnadia | 2008-05-10 12:41 | エンジェルセラピー

輝く笑顔

セッションでたくさんの方にお会いするチャンスを
頂いていて、いつも感じることがあります。

悩んだり、苦しんだり、道に迷ったりしていて
とても辛い毎日や、漠然と不安な毎日を過ごされていて
そして何かを求めて天使のメッセージを
聞きたいと私のもとへといらしていただいています。

そんな皆さまが、肩の力が抜けて
本当に穏やかに、そして軽やかな笑顔を浮かべる瞬間。

私はいつも「カメラで撮って見せてあげたい!」
皆さまの笑顔を見ていて、本当にそう思うのです。

なんて美しくて、軽やかで、喜びに溢れているんだろう!!!

そして、そんなときの皆さまは、本当に全身から
輝きを発しています。
キラキラと輝いているのです。

それを近くで拝見できる私も、なんて幸せなんだろうって
本当に感謝の気持ちと喜びで一杯になります。

皆さまが素敵な笑顔を見せてくださるのは
今まで持ち続けていたご自分にとって不要な思いを
手放すことができたり、あるいは、今のままの自分でいいのだ
と思えたり、ご自分が無数の光の存在から守られ愛されて
いるということがわかったから、です。

私は私のままでいい!

そう思えることってなんて素晴らしいのでしょう!
それは自分自身に対しての一番の愛情表現ですよね。

だからこそ、その瞬間の皆さまの笑顔は
どんな宝石よりも、強く美しく、でも軽やかに輝いているのです。

日常のどんな瞬間でも、そのことを思い出していただければ
きっと、もう一度、あの素敵な笑顔を浮かべることができます。

「私は私のままでいい!」

なんだか、その言葉を発しただけで、こころに思い描くだけで
たくさんの天使が周りに集まってきて、一緒に喜んでいて
くれるような気がしませんか?

そして自分を思い切り抱きしめているような気がしませんか?
大切な愛おしい自分を!
by lovingangelsnadia | 2008-03-20 20:16 | エンジェルセラピー
人は恋に落ちる。
ある日突然。

街角で、見慣れた場所で、旅先で・・・
それは本当に突然、ある意味暴力的な位に唐突に
いきなり、何の前触れも無く訪れるのです。

その人の姿や、横顔を遠くから見ていたり
あるいは近くで話しているときに気づくのです。

「あ、私この人が好き。」

本当に、恋は落ちるものなのです。
簡単に落ちてしまうのです。

そして、愛することは難しい?
だって ”人を愛する”ってことがよくわかりません。

こんなに心を開いているのに、どうして心を開いてくれないの?
こんなに世話をしているのに、どうして結婚してくれないの?
こんなに側にいるのに、どうして”愛してる”って言ってくれないの?
etc・・・

なぜ、人は人に多くを求めてしまうのでしょう。
求めれば求めるほど苦しいとわかっているのに・・・
それなのに、どうして求めてしまうの?

もしかして、愛には限りがあるって思っているから?
限りがあるものだから、与えた分はきちんと返してもらわないと!
そう思っているのかしら?

でも、愛ってそんな程度のものなのかしら?
神様は私達が”愛”そのものだって言ってた。
もちろん天使も。
そして愛は無限だって・・・

だとすると、もしかして、私が与えていたと思っていたものは
”愛”ではなかったのかな?

私たちは、自分が持っていないものを人に与えることはできない。
だから、私が与えたものが”愛”ではないとしたら、
それは一体なんだったんだろう。

そして私がもし”愛”を持っていないから、与えることが
できていないとしたら?
愛をもっていないってどういうことだろう。
私が私の世界の中心であるならば、その私が
愛を持っていないということは、
それはつまり、私が私自身を愛していないってこと?
このままのありのままの私を私が愛していないってこと?

だって、小さな頃から頑張らなくてはいけない、いい子でなければ
愛されないって思ってきた。
大きくなっても、素敵なひと、完璧な人でなければ
愛される価値がないって思ってきた。

今の私には無いもの、足りないものばかり。
ちょっとは自分のことを気に入っているけれど、やっぱりまだまだ。
落ち込んで眠れない夜だってある。

・・・ってことは、私は私をちゃんと愛していないんだ。
私は私を認めていないんだ、受け入れていないんだ。
それは愛しているとは言えないから。
だから、ちゃんと愛を人に与えることができないんだ。

だから「足りなくなる!」って思ってしまって、それが怖くて
「返してもらう」ことを考えてしまっていたんだ・・・
送ったのだから返してもらわないと、なくなってしまうって
そう思っていたんだ。

本当に愛することは難しい?

自分が持っていないものを人に与えることはできない。
だから、愛することも、逆に愛さないということも選択できなかったんだ。

本当に愛することは難しい?
愛することって認めること、受け入れること?

「私は愛したい!!!!
自分のことも、大好きな人のことも!!!全てのことを、全てのひとを!!!」

だったら、本当に愛することは難しい?

難しい、のかもしれない、でもやりたい。
そして本当は難しくないのかもしれない。
順番が違っていただけなのかもしれない。

自分を愛する前に、人を愛そうとしていたんだ。
私は私を好きになりたい、愛したい。
そして思う存分、大好きな人も愛したい。

だったら、このままの自分を受け入れてみよう。
良い子じゃないかもしれない、もっとやせなきゃいけないのかもしれない
もっと勉強しなきゃいけないのかもしれない、
でも、私はこのままの、ありのままの自分を愛したい。

私はこのままでいいんだ。
ということは、私が”愛”そのものなんだ。
だから私には、もうすでに必要なものは揃っている。
もう何も他人には要求する必要なんてないんだ。

私が望むこと。
それは私が私であり続けて、自分をもっともっと愛すること。
そして、私の愛する人が、ありのままで幸せでいてくれること。
ただそれだけなんだ。

愛する人に自由でいてほしい、笑顔でいてほしい、
飛び続けて欲しい、幸せでいてほしい。
何よりも、ありのままでいてほしい。

そして、私もありのまま、自分らしくいたい。

誰かを愛するってことは、自分を愛するってこと。
何も要求しないで、ありのままでいるということ。
そして自由ということ。
怖がらないといこと。
欲しがらないということ。
必要だから愛するんじゃない、愛するから愛するんだから。

なんて自由なんだろう!
なんて軽いんだろう!

私も、その人も、すべてが祝福されている。
そして、私は与え続ける。
私の中から枯れない泉のように湧き出る愛は、
誰からも何者からも
決して奪われないし、足りなくなることもないし、損なわれないし
尽きることがないと知っているから。
だって、愛は無限だし、私が愛そのものなのだから!

愛に気が付いたなら、日付をまたがず、
夜明けを待たずに愛を注ごう。
明日なんて待たなくていい。
今すぐ、愛を一杯、一杯送ろう。

だって私自身が愛そのものなのだから!

恋に落ちるのはとても簡単。
でも人を愛するのって難しい?

いいえ、人を愛するんじゃない、自分を愛するんだ。
そして、同じことを大好きな人に、思う存分してあげるだけなんだ。
もっともっと自分を好きになろう。
もっともっと人を愛そう。
だって、愛に終わりなんてないのだから。
by lovingangelsnadia | 2008-03-15 22:46 | エンジェルセラピー

満月の夜に・・・

つい先日のある夜、ひとりでぼんやりしていました。
何を考えていたのかは忘れてしまいましたが、
イスに座って、ぼ~っとしていました。
もしかすると何も考えていなかったかもしれませんし、
完全にリラックスしてました。

そうすると、私の左側に急に暖かく包み込むような
空気を感じ、目をやると、今まで見たこともないような
大きな美しい優しい感じの女性の天使が立っていました。

ぼんやりしていたので、少しびっくり!!!
(この仕事してるのに、「おい!」って感じですが (笑))

私は
「ええ???は、初めてですね。
(びっくりしていたわりには丁寧な挨拶)
あの、どちらさまで?
(もうちょっとマシな聞き方はないのかい!(苦笑))」

そうすると、その女性の守護天使は満面の笑みで
私の質問に答えてくれました。
それからしばらくは、質問攻めでした (笑)

会話の途中で、その守護天使がまるで踊るように
移動していました。
とても優雅で、すてきな動きです。
私もあんなふうに自由に空を飛べたらいいな~と
うっとり眺めていると、
側にいたうちの猫が、その天使の動きに合わせて
頭を動かして姿を追っていました。

「あら!君にも見えるのね!」
私は嬉しくなってしまいました。

ちなみにうちの猫は、尻尾でサインをくれます。
私達が質問すると、尻尾の振り方でイエス、ノーを
示してくれるのです!
動物ってすごいですよね。だから
天使の踊る姿が見えてもおかしくはありませんよね。

さて、私の新しい守護天使は、私からの質問攻めにも
めげずに今も、この記事を書くのをサポート
してくれていますよ。

そして、今このブログを書くにあたって
彼女が皆さんにも伝えて欲しいのは

たくさんの人に天使の存在に気が付いてほしい。
愛と希望を持ち続けて欲しい。
愛は素晴らしいものだし、与えることによって
もっともっと大きなものが与えられるのだ
ということに気が付いてほしい。
痛みには痛みで返すのではなく
常に、愛を持って接して欲しい。
それは自分自身に対しても、他者にたいしても。

ということだそうです。

新しい守護天使との対話の後で、
何気なくベランダに出てみると、空には大きなお月様。

「あれ、もしかして今夜は満月???」

そして調べてみたら、やっぱり満月でした。
まさに彼女も”満を持して”登場してくれたのですね。
そういえば、私は以前は満月が苦手で
体調やメンタルな部分が影響を受けていましたが
いつの間にかそうではなくなっていたようです。

影響を受けやすかったので、月を見るのは
自然と避けていましたが、久しぶりに夜空を見上げてみると
と~~ってもきれいなんですね、お月様!
まんまるで、輝いていて、まるで真っ黒な夜空に
キレイな丸い鏡がぽっかり浮いているみたいです。
私はしばし、寒さも忘れて眺めていました。
by lovingangelsnadia | 2008-02-22 19:17 | エンジェルセラピー

神様と乾杯!

ずっとずっと一人ぼっちだと思っていました。
小さな頃からそうでした。

そして、いつの間にか自分を偽ることを覚えてしまい
それが私の大部分を占めるようになっていました。

たくさんの人に愛されるには、そして認められるには
ありのままの自分では無理だと思っていたからです。

頑張っても頑張っても、自分が何をやりたいのかわからず
ただ結果だけを求めていました。
むなしさとさみしさが私の友達でした。

でも、ちゃんと待っていてくれました。
私が”そのとき”を迎えるのを待っていてくれました。

一番いいタイミングで成長するのを
おおきな力は諦めず、かといって決して手綱を緩めず
私という人間が”そのとき”を迎えるのを
寛大に待っていてくれたのです。

私は気づきました。
私自身が愛であること、
私自身が光であることを。

いろいろなことが、まるで霧が晴れたように
すっきりと見えてきたのです。

私はなんて長いこと、この霧の中にいたのでしょうか!
そして何も知らずに、ただ歩いていたのです!

こんなにもたくさんの愛に包まれていたなんて、
こんなにもたくさんの喜びに包まれていたなんて、
どうして今まで気がつかなかったのでしょう!
私は一体何を見て暮らしてきたのでしょうか。

ああ、神様ほんとうにごめんなさい。
そして、ほんとうにほんとうにありがとう!

その瞬間から全てが輝きだしました!
私の周りは喜びに溢れているのです。

私は涙を流しましたが、それは感謝と感激の
暖かい涙です。
そして、これからは以前のようなむなしさで涙を
流す夜は、二度と来ないのです。

たくさんのことが繋がりました。
ひとつずつ、カチッと小さな音を立てて部品と部品が
組み合わさるみたいに。
そして、何かが私の中で完成したのです。

ああ、そうだったんだ!
そういうことだったんだ!
なんて世の中は素晴らしいのだろう、
なんてこの世は美しいのだろう!

そして、その夜、私は神様と仲直りしました。
どんなに私のことを愛してくれていたのかが
ようやくわかったからです。
小さなグラスにワインを注いで「乾杯!」
と天に向かって言いました。

誰かが、どこかで笑ってくれているようでした。
by lovingangelsnadia | 2008-01-17 14:34 | エンジェルセラピー